2013年2月22日

大企業と中小企業は何が違う?

  昨今の厳しい就職事情を反映してか、学生が就職を希望する会社規模が【大企業】から【中小企業】へと少しシフトしつつあるらしい。しかし、その理由が、「大企業に入りたいがとても入れそうもないから中小企業を目指す」という消極的な考えであるとしたらとんでもない話だと思う。

 なぜかというと、大企業では従業員が大卒中心で構成されているのに対し、ほとんどの中小企業は高卒者中心で構成されている。そこで、大卒者より基本給が低い高卒者が納得するような人材を採用できなければ、「何であんな奴がオレより給料が高いんだ!」と従業員のモチベーションが低下する恐れがある。だから、大卒者の採用基準のハードルを高くし、従業員が納得できる人物を採用しなければならないのである。少なくともダイイチではそんな採用方針をとっている。

 

 

 

 

 今や、大学・短大への進学率がなんと57%にも上っているという。表現は悪いが、猫も杓子(しゃくし)も大学生であり、就職内定率が70%台に留まっているのも致し方ないことなのかもしれない。もはや頭がよいから大学進学し、勉強が苦手だから就職するという時代ではなく、単に家庭の経済事情や「将来子供に苦労させたくない」という時代錯誤的な親心によって決まる場合が多いような気がする。

 そんな大学生が就職の時期が来ると親の影響もあり、誰もが知名度の高い大企業に殺到する。大企業には「CMなどで知名度が高くオシャレ」→「何となく仕事が楽しく充実しそう」→「優秀な人がいっぱいいそう」→「親が喜ぶ」→「友達からも羨ましがられる」→「給与や福利厚生もよさそう」→「安定していて潰れることがない」→「将来が保証される」というイメージ゙があり、ブランド神話は今もなお健在である。就職情報会社によると、インターネット応募が主流になってからは、誰でも簡単にエントリーするようになったため、採用担当者は面接前までにいかに人数を絞るかに腐心しているらしい。一昔前は、大学進学率は30%台であり、有名一流企業には威厳があり、その敷居は高くみんな身の程をわきまえていたため、自分の実力に相応しい会社を志望した結果、大学4年の10月から約3ヶ月ほどでほとんどがすんなりと就職を決めていた。

 一方、中小企業には「名前を聞いたこともない」→「何となく仕事がきつく臭そう」→「オジサンがいっぱいいそう」→「親が嘆きそう」→「友達から何その会社!と言われそう」→「給与も福利厚生も悪そう」→「すぐに潰れそう」→「将来の夢が持てない」という3Kの汚い町工場的なイメージが先行し、人集めにはいつも苦労させられる。最近はあまり聞かれなくなったが、昔は優秀な人材を集めることを最大の目的として中小企業が上場を目指した時代もあった。

 

 

 

 

 

 そこで大企業と中小企業の違いは何だろうかと考えてみた。

 私はメガ企業で働いたことはないが、大企業に近い規模の会社で16年程働いた経験がある。その他海外での駐在経験・起業経験など、規模や業種が違う数社で働いた経験から感じることは、「仕事や人というのはどこでも同じ」ということである。そして、会社の仕事の流れや仕事ができる人間に対する評価というのは万国共通である。違いはと言えば、会社の規模によって、@扱う数字のケタ数A扱う情報量B情報システム化C拠点の分散化Dそれに対応した通信システム化E組織の複雑さ(単位組織の多さ)F人間関係の複雑さぐらいだろうと思う。

 確かに大企業というのは、職場環境は充実し、給与水準は高く、教育制度が整っている場合が多いが、昨今の低成長時代において、この過剰で手厚い福利厚生が会社成長の足枷(あしかせ)となってきている。ドッグイアーと言われるほど製品ライフサイクル(PLC)が短くなってきているこの変革の時代に、成熟期を迎えた大企業が大規模設備と大量人員を抱えて、機動的に、永続的に生きながらえることは至難の業であろうと思う。成長した時代を知らない若者が、無難に、大きな組織に依存して生きたいという気持ちは判らないではないが、寄らば大樹的にただなんとなく大企業や公務員を目指す若者たちを見ていると、「20歳を超えた大人が、いつまでも、人におんぶにだっこではないだろう」と思ってしまう。今や倒産リスクは大企業も中小企業もなんら変わらない。そして人は守りの気持ちに入ったとたんに凋落が始まる・・・というのも事実なのである。

 もう一つ大企業で感じることは、会社生活の前半は手厚く保護されるが、30代後半からは社内での厳しい競争やリストラ(人員淘汰)に晒され、40歳を過ぎた後半も充実した会社生活を送れる人達が意外と少ないという事実である。銀行員などはその傾向が顕著である。一方、中小企業は前半は色々と風当たりが強く厳しいかもしれないが、もしその会社に収益を生み出し続けることができるビジネスモデルがあり、会社が存続していることを前提として、後半は会社幹部となり充実した会社生活が過ごせることと思う。ただし、そこに至るまでの努力と、会社への高い貢献は必須である。

 働きやすさだけを考えた場合は、30〜50人ぐらいの小組織がベストである。中小企業は多少の入れ替えはあるもののほとんど同じメンバーとずっと一緒に働くことになる。職場の仲間の性格、健康状態、家族のこと、仕事への向き合い方などが手に取るように分かり、家族のような愛着が芽生えてくるようになってくる。大企業も部課単位であれば同じ規模だが、2〜3年毎に異動となるため、本当の相互理解や信頼関係が深まるということは少ない。

 アメリカでは、学生が就職の時期になると、まず成績が一番優秀なグループが「起業家」を目指し、次いで優秀な人たちがベンチャー企業を志し、普通の成績の一群は大企業への就職を目指すと聞く。そして、アメリカの人達は自ら事業を起こし独立を果たした人、一度失敗しても再チャレンジする人への賞賛を惜しまない。例え、それが小っぽけなレストランやペンキ屋であってもである・・・この風土にアメリカの強さがあると思っている。

 大企業が地位も名誉も財産もある50代のナイスミドルであるならば、中小企業は地位も名誉もなく、カネも少ないが可能性を秘めた20代の若者である。どちらにも一長一短があり、正直言って、どこの会社に入るかは自分の意思というよりも運命的な要素が大きく、東京電力やシャープの例を挙げるまでもなく、「大企業」=「エリート」=「幸せな人生」はもはや幻想に過ぎないことを伝えたかったのである。

 

 

 

 

 本当に大切なことは、@自分が将来何になり、何のプロになって食っていくのかAその思いを実現するステップとして、会社の大きさとは関係なく、その会社のヒジネスモデル、人材の質、技術力、取扱製品、経営者の資質、社風などから将来の可能性を慎重に見極め、10年後20年後に自分がその会社で生き生きと働き、成長している姿を思い描けるかどうか(相性)という基準で、社会人のスタートとなる大切な会社選びを行うB最後に自分の特性を見極めることである。そして、その会社の可能性を見極める「判断力」と「推察力」を培うことこそが大学で勉強する一番重要な目的であり、この就活こそが今までの成果としての「人間力」を試される試金石であると思って欲しい。

 とにかく、人事担当者は、大人としての常識があり、素直で、信念があってぶれていない若者が好きである。面接試験においては、自社のことをどれだけ理解しどこに共感したのか、自分の可能性についてどれだけ自己分析しているかしているかがポイントとなる。そして、面接官は決して今のあなただけを見ているのではない。10年後20年後のあなたの成長した姿を想像し合否を決めているということを忘れないでもらいたい。

 


投稿者:S・Kat 16:03 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2013年1月11日

不ケータイ電話

  今回も前回に続き、養老孟司先生のお話を・・・

 ケータイが日本で普及し始めたのは約18年前の1995年頃からだろうか。その後、若者層を中心として、ケータイを肌身離さず持ちいつも着信ばかりを気にしている人がなぜ急増してきたのかずっと謎だったが、先生の話を聴きその理由らしきものが解かり、すっと腑に落ちた感じがした。

 

 

 

 

  

  「今の若い人たちにとっての世界は人間関係がほぼ100%を占めているんですね。だから、人間関係が順調であれば100%の満足や充実感を得られるが、一旦、人間関係に躓いてしまうと0%の絶望状態となり生きがいの全てを失ってしまう。だから、ケータイで自分と他人がいつも繋がっていることが何よりも大切なのです。昔の人は、人間関係は50%で、残り50%は自然や動物と触れ合ったり、読書に夢中になったり、趣味の世界に没頭したりと人間関係以外の世界に自分の生きがいを持ち、精神のバランスを保っていました。だから、例え人間関係に失敗し0%の状態になっても、残り50%の世界に慰められ、立直るきっかけを探すことができたのです・・・」 

 この話を聞いて、どちらが正しい正しくないと主張するつもりはないし、人それぞれだから、その価値観を批判するつもりも毛頭ない。ただ私はもう若くはないので、自分の中の世界があり、人間関係が100%を占めるなんてことはない。今までの生きてきた経験から、人間関係とはいくらこちらが好きになろうと努力しても、好かれる人からは勝手に好かれるし、嫌われるときは何をやっても嫌われるままならないもの、とある意味で諦念している部分がある。

 夏目漱石の「草枕」に有名な一節がある。

 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、「詩」が生れて、「画」が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。み
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

                                                      (中略)

 世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽しみの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放そうとすると身が持てぬ。片づけようとすれば世が立たぬ。金は大事だ、大事なものが殖えれば寝る間も心配だろう。恋はうれしい、嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ。閣僚の肩は数百万人の足を支えている。背中には重い天下がおぶさっている。うまい物も食わねば惜しい。少し食えば飽き足らぬ。存分食えばあとが不愉快だ。…… 

 

 

 

 

  

 人の心は矛盾が多く、移ろいやすく、時が経てばその心境も刻々と変化する。でも、その時点ではみんな自分が正しいと認識し行動している。だから他人との価値観の相違、言われのない批判や誤解、相性の悪さなどに対し相手の考えを変えさすことは困難を極める。自分ができる唯一のことは、相手の価値観を受け容れ、認めてあげることだけである。そして、他人に対し一方的に善い施しを行い、相手に決してリターンを求めない心境になることができれば穏やかな人間関係を築くことができると思っている。「寂しさ」は誰もが抱く感情だが、癒しの対象は何も他人だけではない。自分の潜在的な可能性に向き合い、自分と対話を繰り返す時間を持つこともその一つである。

 中年以上の人でいつもケータイを気にしている人もたまに見かけるが、携帯電話を持ち歩かない人もかなり多い。「人に束縛されず自由でいたい」というのが本音なのかもしれない。私もどちらかというと後者であり、いつもケータイはバッグの中に仕舞いっぱなしで、外出時もほとんど持ち歩かない。録音機能があるので特に不都合なこともなく、人からは「不ケータイ電話」と呼ばれている。ケータイメールなんぞついぞ使ったことがない。私の中ではケータイ電話=非常用電話という認識である。

 先日、ケータイを自分の分身のように扱う姪っ子が私のぞんざいなケータイの扱いに対し、呆れるようにこう言い放った。

 「Sにいちゃん(小さい時からこう呼ばした)のケータイの位置づけってそんなもんなん!」

 「うん、そんなもんやけど、なんか問題でも・・・?」

 「・・・(唖然)」


投稿者:S・Kat 09:17 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年12月11日

2014採用活動解禁!!

   いよいよ12月より学卒者の採用活動が解禁となった。

 就職活動は、新卒生にとっては人生初体験のビックイベントであり、不安や戸惑いは隠せないことと思う。しかし、われわれ採用担当者にとっては毎年の恒例行事であり、希望に満ちた就活生には大変申し訳ないと思うが、

 「は〜、もうこの時期が来たんかいや!」

 と思うだけで正直言って新鮮味はない。

 

 

 

 

 

 

 

 一番大きな理由は、多くの学生に何度も何度も同じ話をまた繰り返し話さなければならないという徒労感からだろうか・・・。個性的で、面白みがある相手ばかりであればやる気もでてくるが、最近は判で押したようにみんな素直でいい子だが、没個性な若者が増えているような気がする。中には話の最中に居眠りする腹立つ輩もいる。たぶん学校の延長線上で仕方ないからと「就職」を捉えているのだと思う。

 中小企業であるダイイチですら、合同説明会、学内説明会、会社説明会、面接などで1年間に出会う学生の数は200〜300名にも上る。これまでに出会った学生の数は高卒を含めれば過去5年間で1,000人を超えると思う。スケジュール的にはほぼ毎年同じことの繰り返しだが、年々学生が幼くなってきていると感じるのは、新卒者の対象年齢が22歳〜24歳ぐらいと一定であるのに対し、採用担当者が毎年1歳ずつ齢を重ね変化(進化?)していることが原因かなと思っている。昨今巷ではゆとり教育による若者のレベルの低下が唱われているが、正直言って、どっちが本当だか判らない。

 採用活動をけっこう真剣に5年間も続けていれば、知らず知らずに色々なノウハウが蓄積されてくる。人の見抜き方とか、効果的な会社のPR方法とか、こんな表現をすれば学生の心を掴めるとか・・・。採用(就職)が決定するには偶然の出会いとタイミングと相思相愛が必要であり、不思議なもので、自分の意思というよりは、まるで<ご縁>で導かれるように採用が決まることが多い。

  先日、帰宅途中のFMラジオから、解剖学者の養老孟司先生が若者に対する生き方のアドバイスの話をしているのを興味深く拝聴した。思わず車を路肩に止めて聴き入ってしまった。養老先生は著書『バカの壁』がベストセラーとなった著名人で、医学者としての経験から導かれたその人生哲学や説得力のあるソフトな語り口には惹きこまれるものがある。その中で、

 「新卒者が社会で働き始めるということは、まるで素人がサッカーの試合の中に放り込まれるみたいなものだ」

 と就活を表現していた。

 

 

 

 

 

 

  

  新人はキャンプ(研修期間)を終えるとすぐにフイールドに放たれる。チーム(会社)によってカラー(企業文化)は異なり、まず最初に、そのサッカー(会社・業界)のルールから覚えなければならない。だけどみんな自分のプレーに必死で、新人に構っている暇などない。会社ではベンチを温め試合を観戦することは許されない。仕方なく見よう見真似で先輩の背中を追い駆け走り回る。言うなればサッカーボールは「仕事」そのものだろうか。最初はボールを思う通り扱うことさえ難しい。ヘデイング(頭を使う)、ドリブル(自分で行動する)、パス(仕事を依頼する) 、チーム戦術(企業戦略)など自分だけではなく、組織としてチームメイト(従業員)と連携しなければ試合には勝つ(会社業績を上げる)ことができない。監督(社長)、コーチ(部門長)はグランドの最前線から指示を送る。会社では選手兼任の監督、コーチも多い。

  GK(経理)から蹴られたボールはDF(総務・検査)・MF(生産)を経由してFW(営業)にパスされる。時々、SB(開発)からも鋭い横パスがFWに供給される。SBは運動量が多く、攻守の素早い切り替えとパスの精度が求められる。そして、FWは相手DF(競合業者)を巧みにかわし、オフサイド(法令・しきたり)を避け、ゴール(受注)を狙う。FWは花形であり、決定率が高ければヒーローとなれるが、ミスが多ければ敗因の責任を問われる。どの組織でも優秀なFW(営業)を求めているが、どこも人材不足である。FWへのマークがキツイ場合やセットプレーの際はMFやDFなど全員参加で攻撃を仕掛ける(多能工化)こととなる。

  チームを強くするためには、役割分担を明確にし連携を高め、戦術の徹底を図らなければならない。プレーのレベルが上がれば上がるほど、オールランドプレーヤーは少なくなり、適材適所(適職)が必要となってくる。オフエンス(攻撃)が得意なのか、デイフエンス(守備)が得意なのか、どんな技術が優れているのか、監督やコーチは適性と相性を判断しポジションごとにプレーヤーをパズルを嵌め込んでいく。

 ・・・とまあ、こんな感じで、どんな形態であれ組織は似ていると感じていただけたと思う。書き進めていて私もそう感じた。そして、われわれ採用担当者がなぜ体育会系出身者を欲しがるかと言えば、培われた「体力」、「辛抱強さ」と共に「組織への理解・順応力」があるためである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  最後に、就活生の皆さんには、会社や業界選びの前に、この「適職」について考えていただきたいと思う。営業、研究開発、検査、生産管理、経理、財務、人事、販売、コンサルタント、教師、公務員、プロスポーツ選手、オペレーター、プログラマー、経営者・・・など多岐に渡る職業のなかで、自分はどの分野で技術を磨き、将来、何のプロになり、何を飯の種にするかを考えることが大切であると思う。もはや一つの会社で一生働き続ける時代ではない。そして、どの会社に入れば自分の市場価値を高める技術を磨ける可能性が高いかという基準で会社選びをするべきだと思う。そして、いくら考えても解らなかったら、攻めと守りのどちらが好きかという基準で、「えいや〜!」と職種を決め、大小にかかわらず儲かっている業績の良い会社を選び、後はそこの上司に自分の適性を判断してもらえばよい。

 ただし、自分が想像する好きなことと「適職」は違う場合が多い。だから、「自分探し」なんて無駄なことは止めた方がよい。だって、人がなんとなく自分のことが見えてくるのは組織で働き始め、何十年も人生経験を積んでから後のことであり、経験の浅い若者がいくら考えたところで無からは何も見えてこないはずである。「夢」と「現実」を分けて考えて欲しい。そして、「就社活動」ではなく、有意義な「就職活動」を行って欲しいと心から願っている。

 ダイイチの面接は今季からリクルートスーツを禁止することにした。理由は、みな一様に鎧を纏っているようで、個性や自分らしさが見えてこないからである。そして、今後ますます進展するであろう国際化や変革に柔軟に対応できるような会社基盤づくりを行うためにも、チャレンジブルで多様性のある人材の確保を目指し続けたいと思っている。

 


投稿者:S・Kat 11:19 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年10月12日

尖閣問題

 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。・・・日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。

 このブログのサブタイトルにもなっている有名な『枕草子』(春はあけぼの)の一節である。春夏秋冬の日本の情景を見事に詠っている。9月下旬まで続いた猛暑もようやく過ぎ去り、朝晩の冷気が肌に心地いい。構内の鳥の声、虫の音はまるで短い秋を急ぐかのようにいたって盛んで、まさにあはれなり(深くしみじみと心を惹かれる感じ)である。 

 さてと、今回は突然の時事ネタである。

 領土問題というのは繊細で難しい。長い歴史を振り返れば、その時代その時代で帰属は変わっているだろうし、海洋資源が埋蔵しているとなれば隣国に譲渡する選択肢などありえない。国民の潜在的なナショナリズムを考えれば尚更である。

 下の地図は我々がよく見慣れている東アジア地図を南北逆から見たものである。宇宙飛行士もこういう形で日本の姿を捉えることが多いと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ある報道番組でこの地図が映し出され、中国から見た日本の印象に関するコメントを聞いたとき、「なるほどなあ!」と深く考えさせられた。古代から中国の皇帝は北極星を背にして南を向いて座るとされていたらしく、中国の人々は東アジアをこんな風に認識していたらしい。今でもこのように考えている人が多いのかもしれない。

 よ〜く見ていただければ判ると思うが、中国や韓国にとって日本はまさに目の上のたんこぶで、両国に蓋をしているような格好をしてと感じると思う。広い太平洋に漕ぎだそうにも、樺太から台湾までの海域に日本の領海が立ちはだかり、邪魔で邪魔で仕方ないのである。だからその一角に風穴を開けたいというのが本音であると思う。ましてや、太平洋戦争で日本に侵略されたという忌まわしい歴史も重なる。

 NHKのテレビ番組で、前中国大使が中国の多くの友人から日本が尖閣諸島の国有化を機に中国に再び侵略してくるのではないかと危惧しているとコメントしていた。反対に日本人の大半は尖閣諸島問題で譲歩したら、次は沖縄がターゲットになると懸念している。こんな様々な事情を勘案し、マスコミに踊らされることなく、隣国との妥協点を見つける必要がある。

 アジアには多くの日本の製造業が進出しているが駐在員の苦労は並大抵なことではない。よその国で働かせてもらっているという気遣いが必要になり、「郷に入っては郷に従え」の諺通り、現地の事情で妥協や方針転換を迫られることも多い。身の危険を感じることもしょっちゅうある。

 日本以外では「もののあはれ」や「侘び寂び」は通用しない。対話が必要である。総理大臣や外交官でもない、数十万人いるといわれる現地駐在員らにアジア諸国との相互信頼の尖兵の役割を心から期待したい。

 

 

 


投稿者:S・Kat 10:40 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(360)

2012年8月30日

一番暑いと感じた経験

  うだるような暑さが連日続いている。もう8月も終わろうとしているのに、真夏日が終息する気配が一向に見えない。

 現場からの「アツイ!アツイ!」「何とかして〜!」の大合唱に、何とかしてあげたいと思う一方、暑さ大好き人間である自分にとっては、「ずっと夏が続けばいいのに・・」と密かに心の中で思っている。袋叩きに合いそうなので、決して声を大にして言うことはできないが・・・

 過去のブログでも何度か触れたが、過去(もう9年前になるが)の10年間に及ぶ東南アジアでの長期滞在で自分の体温調整機能が変化してしまった。年齢的な理由もあろうが、開いてしまった体中の毛穴が元に戻らなくなってしまった感じがするのである。だから、暑い日にはブオッ-と汗が一気に吹き出し体全体を適度に冷やしてくれるが、冬の寒い日にも体熱が放散されてしまい、保温機能があまり働かないため寒くて死にそうになる。

 日本人のほとんどの人は、日本の8月はこんなに暑いんだから、赤道直下の東南アジアはもっとすごい暑さなんだろうなと想像していると思う。しかし、実際は熱帯気候と亜熱帯気候が複雑に入り乱れ、スッキリした暑さで比較的過ごしやすい地域(タイ・ラオス・カンボジア・マレーシア・シンガポールなど)とジトッとした暑さで過ごしにくい地域(ベトナム北部・ミャンマーなど)に分かれる。タイの8月はすでに雨季に入っているため、雨や曇りの日が多く気温は30°前後と意外と過ごしやすい日が続く。雨季といっても一日中雨が降り続くわけではなく、日中は晴れ時々曇りという天気で、夕方から夜にかけて1時間程度すごいスコールが降る日が繰り返される。そんな実情を知っている一部の日本人は8月の夏休みに避暑を兼ねて遊びに来ることも多い。

 

 

 

 

 

 

 一方、ベトナム北部(南部はほぼタイと同じ)は日本のように四季がはっきりしており、秋から春にかけては比較的涼しく過ごしやすいが、夏はものすごい蒸し暑さである。私が今までに一番暑いと感じた経験は、1994年8月頃のベトナム・ハノイ訪問であろうか。もう20年近く前の記憶だがその不快感は未だ脳裏から消えることはない。

 日本から来ていた社長の同伴を命じられ、バンコクより空路ベトナム・ハノイへ、そして陸路で現場がある港町ハイフオンへ向かった。ここは石灰石の名産地であり、セメント工場プロジェクトが進行中で、その現場視察に訪れた。気温は37°前後だったであろうが、湿度の高さがものすごい。まるで身体に湿気のベールが纏わりついたようで、汗がベタベタと衣服にくっつきすこぶる気持ちが悪い。さらに息苦しささえ感じる。まさに天然サウナ状態である。宿泊したコンテナハウス内ではあちこちでカビが生えており、日本人職員は洗濯物が乾かないと嘆いていた。こんな過酷な環境があるのかと驚愕すると同時に、この地で生まれ育った人、現地で働いている人に対して心からの慰労と尊敬の念と抱かざるを得なかった。そして、ベトナム戦争でアメリカが敗れた理由として、この「気候」と「ベトナム人の粘り強さ」の2つの要因が想定外だったんだろうなあと感じた。

 

 

 

 

 

 

 今、突然思い出したが、【アオザイ】は本当に可愛い。ベトナム人の女性はスレンダーな人が多く、小麦色の肌と真っ白なアオザイのコントラストがよく似合う。アジアで一番の民族衣装であると思う。純白のアオザイを纏った女性の自転車が服をたなびかせ、笑顔で横を通り過ぎる時、ふわっと涼風が吹き抜けて行くようで一瞬暑さを忘れさせてくれる。

 でも、タイの盛夏である4月もかなり暑い。太陽がほぼ真上から降り注ぎ、突き刺すような暑さとなる。日影もできない。気温は38°前後となり、一歩外に出るとその瞬間にジュワッと一気に汗が吹き出す。この月はソンクラーン(水かけ祭り)などがあり、みな田舎に里帰りし仕事に戻ってこない。会社は困るが、誰も働く気がないのであきらめるしかない。

 暑い時は無理をしないで水遊びをする・・・誠に理屈な選択である。 

 

  

 


投稿者:S・Kat 15:49 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年7月24日

東日本大震災からの復興ルポ〜塩釜編(4)〜

  東日本大震災から1年4ヶ月が過ぎ、世界中から今もなお注目されているのはFUKUSHIMAだけらしい。地震と津波による二重災害から引き起こされた衝撃的なな福島第一原発の放射能漏れ事故は、原発擁護と原発反対に世界中を二分する大論争を巻き起こしている。一方、津波被害地域である宮城や岩手の被災者の方たちは最大の震災被災地でありながら、瓦礫処理や補償問題など復興が遅々として進まない状況が続き、自分たちは忘れられるのではないかと少し苛立ちを募らせている感じがある。

 松島を出て、12:00ちょうどにバスは塩釜市に到着した。この武田の笹かまぼこ工場は仙台笹かまぼこの老舗有名店である。

 

 

 

 

 

 

 実際に被災した女性従業員からの説明があり、平成23年3月11日、ちょうどお客様が引き、遅い昼食を摂ろうとした矢先14:46に地震が発生した。この工場は従業員の大半が女性であり、家族の安否を気遣い帰宅。その約30分後に2mの津波に襲われたそうである。その後、この工場が自宅を被災した人々の一時避難所となり、約60名が避難生活を強いらることになる。

 

 

 

 

 

 

 一番困ったのは、津波被害などの外部情報が全く入らないことと、水の確保が困難だったことである。そして、震災から3日後にようやく自衛隊、日本赤十字、ボランテイアの方が駆けつけてくれた。今回の津波で自分の子供や孫たちを亡くされたご年配の方たちは、「あとさき逆で困ったもんだあ!」と嘆きながらも、「われわれは生かされてしまったんだあ〜」と前を向いて進む覚悟をしているという。

 

 

 

 

 

 

 

 構内には「絆」という字が書かれた日本国旗に、全国各地から当店を訪れた人が激励の寄せ書きをした大きなボードが展示されていた。そして、その下に「震災から一年」と題して、お礼状が書かれていた。これが支援をしてくださった世界中の皆さまに対する、被災者から心からの感謝の言葉であると思う。 

 

 

 

 

 

 

 

  帰りのバスに揺れながら、これからわれわれにできることは何だろうと考えてみた。

 震災から1年以上が過ぎ、被災地は瓦礫の山を除き、予想以上にほぼきれいに片付いていた。たぶんあと2年ぐらいしたら石巻に<東日本大震災記念館>みたいなものができ、後世に語り継がれる場所になることは容易に想像できる。

 石巻駅前のお土産屋で震災前と震災後を比較した航空写真 が掲載された写真集を購入した。この写真集を眺めていると、全ての写真において津波到達地点から海側部分が廃墟と化しており、見事なまでに何にも残っていない。まさに根こそぎという表現が相応しく津波の猛威にただ驚愕するしかない。防波堤などの人工物は<砂上の楼閣>に過ぎない。幼い頃、夏休みに家族5人で羽咋の柴垣の海に行き、砂浜で砂の家や砂山をつくった時のことをふと思い出した。一生懸命に穴を掘って立派な家をつくっても、周期的に来る大波によって一瞬で壊され、元の平らな砂浜に戻ってしまう。今度は高い砂の防波堤をつくり、家を波から守ろうと試みたが、また波に洗われてすぐに平らな砂浜に戻ってしまう。子供心にむなしくて、悲しくて泣きそうになった思い出がある。

 

 

 

 

 

 

 要するにわれわれができることは、自然に戦いを挑むのではなく、常日頃から準備(シュミレーション)を行い、実際に天災が来た時にどのような対応をするかという【危機管理(リスク管理)】を強化することだけであると思う。地震や台風に対する備えはもちろん、海辺の近くに住むのであれば津波対策、山の近くであれば崖崩れ対策、川の近くであれば洪水対策、雪国であれば雪害対策、夏場であれば猛暑対策が必要となってくる。

 広辞苑に、『風化』とは、「心に刻まれたものが弱くなっていくこと」と書かれてあった。

 今回の訪問を機会とし、東日本大震災の被災状況と被災者の心の痛みを深く心に刻み、決して忘れることなく、災害への備えと危機管理の重要性を伝えていきたいと思う。

 

                                                       完

 

                                                    

 

 

 

 


投稿者:S・Kat 11:21 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年7月20日

東日本大震災からの復興ルポ〜仙台編(3)〜

    仙台に来るのは20年振りだろうか。以前に東京で勤めていた時に、出張やスキーなどで4〜5回訪ねたことがある。覚えているのは、駅前と青葉通りだけで、何が変わったかと問われても上手く答えられない。ただ、都会的な街になった感じはする。

 

 

 

 

 

 

 

 17:00にホテル到着。今晩の宿泊先は「アパヴイラホテル仙台駅五橋」である。アパホテルというのは石川県出身の元谷代表が全国にホテルをチエーン展開している会社で、宿泊料金が安く、日本中どこにでもあるというイメージがある。

 18:00よりホテル内のレストランでの会食。会長の挨拶に続き、乾杯の音頭をとる。みなお酒が入るにつれ、歓談の輪が拡がる。東北産のほや、牛タンなどに舌鼓を打ちながら、宴たけなわとなる。消防職員というのは、みんなスポーツ会系でノリがよく、かつ真面目さを兼ね備えた純朴な人が多い。立場は一応、市町村の職員(公務員)ということだが、消防長を除き、入署から退職まで同じ市町村の消防署で勤務し転勤がないとのことである。なぜ消防署員を志したのかを尋ねてみると、

「警察、役場、税務署などの他の公務員と比べ、人から感謝されることが多いから」

という返事が返ってきた。なるほどなあ。

 20:00に御開きとなり、希望者を募り、東北一のネオン街国分町にくりだすことになった。ちょっと言い訳がましいが、今回の研修旅行の目的のひとつに【現地にお金を落とす】という大切な使命がある。外は雨が降り出してきたが、課題達成のため15人の有志がいそいそとタクシーに乗り込む。

 

 

 

 

 

 

 

 夜の国分町は賑わっていた。週末の金曜日であったということもあろうが、人で溢れかえっている。予約しておいた飲み屋は場末のカラオケスナックという感じで、津幡町消防長から調査研究不足を指摘される。確かに国分町の事前調査は疎かになっていた。実際に津波で被災したおネエサンに色々な話を伺った。津波が迫ってきた時は自分の命を守るのが精一杯でお金なんてどうでもいいと思ったそうである。震災当初は、実際にお金があちこちに落ちていたと言っていた。

「ここで飲み歩いているのは、瓦礫撤去などの地元以外の建設関係の人達だけですよ。地元の人たちはほとんど行きません。国が支援する復旧事業は3年間(残り1年と8カ月)だそうで、その後の見通しがまったくたっていません。これから先一体どうなるんでしょうかね」

と語る、帰りの個人タクシーの運転手の暗い表情を見て、酔いが一気に醒めてしまった。

 翌朝は、7:00に起床。かなり雨脚が強い。前日に金沢に大雨警報が出て160mmの豪雨が降ったということで、昨日から消防職員に着信メールが頻繁に入っていたが、どうもその雨雲が東北に到達したようだ。

 成田山を経て、10:00に松島に到着。

 海は凪いで静かだった。

 

 

 

 

 

 

 この周辺は島が多く、津波の勢いが弱まったため被害が比較的少なかったらしい。

 五大堂と瑞巌寺を足早に巡り、最後の目的地の塩釜へ向かった。

                                                      つづく


投稿者:S・Kat 15:56 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年7月19日

東日本大震災からの復興ルポ〜石巻編(2)〜

    東日本大震災の被災地では今、『津波てんでんこ』という言葉が交されているという。

 これは、震災で家族の安否確認のため自宅に戻り被災した人が多かった教訓から、津波が来たら各自テンデンバラバラに高台へ避難する。自分の身は自分で守る。そして、日頃から家族や地域での話し合いを大切にし、緊急時の避難集合場所を決定しておくという意味である。その他には、車で避難した人が津波に呑み込まれた確率が高かったらしい。やはりという感じである。

 

 

 

 

 

 

 バスは瓦礫の山を過ぎ、市の中心部に位置する日和山(ひよりやま)の麓にある門脇(かどのわき)小学校前に立ち寄った。ここは石巻でもっとも被害が大きかった場所の一つで、テレビなどでも映像化される機会が多い。ここ門脇小学校は海岸から700mに位置しており、高さ8mの津波が1Fの天井付近まで押し寄せてきたそうである。建物が黒くなっているのは火災で全焼した名残である。学校の周りを囲んでいたであろう住宅が全て流されてしまったため、荒野にポツンと屹立した、石巻の津波被害を象徴するスポットとなっている。

 

 

 

 

 

 

 昨年の紅白歌合戦で長淵剛が『ひとつ』という歌を熱唱し、綺麗なスポットライトが印象に残っている人も多いかと思う。ここの校庭がその舞台となった。

 『ひとつ』 作詞作曲:長渕剛   

一人ぼっちにさせてごめんね  もう二度と 離さない離れない離したくない

君に寄り添いそばに生きるよ もう二度と 忘れない忘れさせない忘れたくない

悲しみはどこからやってきて 悲しみはどこへ行くんだろう

いくら考えても判らないから 僕は悲しみを抱きしめようと決めた

ひとつになって ずっと一緒に共に生きる ひとつになって君と生きる 共に生きる

 

 

 

 

 

月の雫が涙に揺れて海に光る 会いたくて会えなくてそれでも僕は探した

星の降る夜 君を想いずっと歩いたよ 明日きっと明日きっと幸せになれるね

永遠の幸せはどこからやってきて 永遠の幸せはどこへ行くんだろう

いくら考えても判らないから 僕は悲しみを抱きしめようと決めた

ひとつになって ずっと一緒に共に生きる ひとつになって君と生きる 共に生きる

http://www.youtube.com/watch?v=DpGgZksj8P4&feature=related

 

 

 

 

 

 

 ガイドの高橋さんの話を聞きながら、殺伐とした風景を眺めていると、「ひとりぼっちにさせてごめんね・・・」というフレーズが浮かんできていたたまれない気分になってくる。最後に、この地で尊い命を奪われた数多くの英霊に対し全員で黙祷を捧げ、一日も早い復興を願いつつ、門脇小学校を後にした。

 

 

 

 

 

 

 次いで、旧北上川沿いを右手に北上する。石巻市内を襲った津波はこの川を伝って街を一気に飲み込んだ。中州にはUFOを模したような石ノ森萬画館(休館中)が残っている。ここはトヨタのCMで豊臣秀吉扮したビートたけしが立ち寄り、そこで寄せ書きを見て、海に向かい「バカヤロウ〜」と叫んだあのCMの場所である。この建物だけはきれいに見えるが、この川沿いの被害が最も大きく、建物の復旧が一番遅れているように感じた。

 最後に、ボランテイアガイドの高橋さんからこんな言葉があった。

『今回、見て、聞いて、感じたことを誰か他の人に伝え、ぜひ、<記憶の風化>を防いでもらいたいと思います』

 その意図は、自然災害の恐ろしさを我々の体験から学び、日頃からの災害への備えと心構えを、そして我々は今も頑張っていることを忘れないで欲しいという心からの訴えであると感じた。

                                                つづく

 

 

 

 


投稿者:S・Kat 11:14 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年7月18日

東日本大震災からの復興ルポ〜石巻編(1)〜

   4月28日以来だから約80日ぶりの投稿である。学卒の採用活動が終了し、適当な話題が見つからなくてついさぼってしまった。【アクセス解析】を見てみると、けっこうの人がアクセスをしてくれている。もし、このブログを見るのを楽しみにしている人がいるとしたら、本当に申し訳ない限りである・・・

 

 

 

 

 

 

 7月6日〜7日に河北郡市防火協会の主催の研修旅行で石巻・塩釜・仙台を訪ねてきた。ちなみに、河北郡市防火協会とは、金沢市の北部に位置する津幡町、かほく市、内灘町の3市町の消防本部と同地域内に事業所を構える約200社の企業による防火・防災による地域の安全・安心を目的して結成された協会である。参加者は、企業側から17名、消防側から7名(署長3名含む)の合計24名で、みな忙しい人ばかりだけどなぜか予算が少ない貧乏な協会であるため、往復1400kmをバスで片道9時間かけて疾風のように駆け抜ける強行日程だった。これだけの長距離をバスに揺られたのは高校時代の修学旅行以来である。

  昨年3月11日の東日本大震災発生以来、テレビや新聞の報道から逐次被災状況が伝えられ、発生直後は地震、津波、原発事故の三重苦によるその被害規模の大きさにただ驚かされるばかりだった。「私にできることは何だろうか・・・」と思いながらも仕事を放っぱらかして駆け付ける訳にもいかず、日本赤十字社へのささやかな義援金に復興への願いを託すことぐらいしかできなかった。時々特番で流れる復興支援コンサートや被災地への慰問の様子に幾度も涙しながらテレビを眺めていた・・・。でも1年を過ぎたあたりから、震災復興の特番はあまり見なくなってきた。被災地が落ち着きを取り戻すと共に自分の心の中での震災発生時の衝撃が風化し、「辛く不幸な出来事は振り返りたくない」「哀しいことはもういいや」と心に蓋をするような気持ちの変化が起こっていたのも事実である。

  そんなタイミングで、河北郡市防火協会による東日本大震災視察研修旅行の企画が舞い込んできた。防火協会の副会長(なんです!)、調査研究委員長の特権を最大限に生かし、「遠いな」「予算オーバーだ」「ハードスケジュールだ」などの反対意見を蹴散らして、この研修旅行を半ば強引に決定してしまった。何故行きたかったかというと、@今の機会を逃したら生の被災状況を二度と見ることができないA義援金を贈ったダイイチの従業員に対する復興状況の説明責任があると思ったためである。

 

 

 

 

 

 

 

 7月6日は3:50に起床。前日は23時前に床に就いたせいか意外と爽やかな目覚め。朝食を簡単に摂り、真っ暗闇の中を津幡消防署を目指す。早朝は道路が空いていてぶっ飛ばせると思っていたが、山側環状線のトンネル工事で一車線規制中のうえ、前には若葉マークが行く手を阻み、消防署に到着したのは集合時刻5:00の3分前ですでに全員が集合していた。

 かほく市、内灘町と参加者をピックアップし、「さあ!ひと眠りしよう」とウトウトしかけた時に、「委員長!ご挨拶をお願いします」と突然のご指名。あたふたしながら、この旅行を企画した経緯と意義のある研修旅行にしたい旨を話したと思うがあまり記憶に残っていない。その後爆睡し気がついたらバスは<磐越自動車道>を走っていた。いつのまにか5時間以上眠っていた。自慢ではないが相変わらずいつでもどこでもすぐに寝ることができる。この磐越自動車道は初めて走ったが、道幅が狭く凹凸が多く、寝心地がすこぶる悪い。ご年配の参加者が多くバスでの長旅はかなり辛そうに見受けられた。昼食弁当に舌鼓を打ちながら、曇って見えない磐梯山の面影を左手に、猪苗代湖は右手に過ぎ、東北自動車道に合流。14:30にようやく石巻市に到着した。

 

 

 

 

 

 

 

 石巻市は江戸に東北産のお米を送る物流拠点として栄えた港町で、3.11で4,000名弱の死亡・行方不明者が出た東日本大震災での最大の被害地である。震災前の人口は16.3万人であったが震災後は15.2万人と大幅に減少している。内陸から市内へ入ると、いたって普通のどこにでもある街並みである。A会長は、「野々市市みたいや!」と言っていた。建物も道路もきれいで津波で被災した感じは見られない。市街地中心部へ入るとところどころに壁が崩落した建物が目立つようになってくる。当たり前だが、津波到達地点を境として、被災地と非被災地ははっきりと分かれるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 石巻駅に到着して、ボランテイアガイドの高橋さん(元消防署員)を招き、市内の被災復興状況を説明していただいた。石巻市内では津波被害により信号が全て被災し、今年の2月迄約1年間全国の警察官の支援を受け手信号で交通整理を行っていたそうである。また、市内には42の小学校があるが、現在9校がまだ休校中だそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

  市街地を抜け、港に近づくにつれて被災状況が明らかになってくる。新しくオープンしたENEOSのガソリンスタンドは津波対応仕様ということで8mの津波にも対応できるように設計されているということだった。被災し復旧した日本製紙石巻工場の白煙を横目に、空き地が大きく拡がるようになる。一見したところ、造成済みの住宅分譲地のように見えるが、震災前は整然と住宅が立ち並んでいたそうである。次いで、大手ゼネコンJVによる廃棄物処理場、数百メートルに渡って拡がる約6万台の車のスクラップまたスクラップ、高さ30mもあろうかと思える総量308万トンの瓦礫の山また山が眼前に次々に飛び込んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 「こりゃ〜すごいわ!」

 バス内ではみな沈鬱な表情で、無言でデジカメのシャッター音を鳴らしている。

 報道で瓦礫処理が問題になっているとは聞いてはいたが、これ程のスケールの瓦礫が津波被害で発生したとは想像だにできなかった。もしこの瓦礫処理を石巻市だけで通常通り行った場合、50年もかかるという話である。現在の放射能の測定値も0.06マイクロシーベルトと全国平均と同じであり、放射能汚染への風評と偏見に捉われず、被災地に全てを押しつけず、同じ日本人として多少のリスクは分かち合うという精神が必要ではないかと感じさせられた。

 

                                                    

 

 

 

 

                                                        

                                                             つづく

 

 


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投稿者:S・Kat 09:51 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年4月28日

糸(いと)

  最近、YouTube にはまり、時々昔の名曲を動画で楽しんでいる。

 昭和50年代に入り、多くのシンガーソングライターが輩出してきたが、中島みゆきとユーミンが双璧で、まさに天賦の才を持った詩人であり、稀有な歌心の表現者であると思う。

 今日初めて聴いた中島みゆきの「糸」という曲は、名曲であると思った。まるで、ダイイチのテーマソングみたいな・・・

 数ヶ月前に、文芸春秋で中島みゆきの北海道時代の幼少期の生い立ちに関す記事を読んだ。その複雑な過去からその天賦の才能が開花するまでの軌跡を想像しながら聴くと言葉の一つひとつが深く心に沁みいる。一度ぜひ聴いてみて欲しい。

  http://www.youtube.com/watch?v=_aS_EedQ5Bs&feature=fvwrel

 

 YouTubeの中島みゆきの「糸」は著作権侵害のため削除とかで植村花菜のカバーでお楽しみください。なかなかいいよ!

 「糸(いと)」  作詞作曲:中島みゆき 1998年

なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない

 


 

   

 

どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない

 

 

 

なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ

こんな糸が なんになるの
心許なくて ふるえてた風の中


 

 

 

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 幸せと呼びます


投稿者:S・Kat 13:09 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年3月13日

文章の描き方

 私がこのブログを担当してから早2年と5ヶ月が経ち、今回で76話目となる。過去ログを読んでもらえればわかると思うが、このブログとは常に真剣に向き合っており、私にとっての文章修行の場ともなっている。時には大きな負担でもあり、時には自己表現の場にもなっている。パッパッと2〜3時間で書ける時もあるし、2〜3週間もあ〜でもない、こ〜でもないと文章の修正を繰り返し、悩み続ける場合もある。今回もなかなか考えがまとまらない。今更ながら、文章で思いを上手に伝えることは本当に難しいと思う。

 2011年8月号の文芸春秋の【心に灯りがつく人生の話】に載っていた話で、作家の藤本義一氏は新人の時に恩人・川島雄三映画監督から掛けられたこの言葉をずっと励みにしてきたという・・・「君の考えていることを百としましょう。そして、あなたの考えが口から出てくるのは、落ち着いて考えて10%です。さらにあなたの考えているものを文字に置こうとしたらさらに十分の一の1%しか表現できないんです。君がプロになるならば、天才ではないんだから、死ぬまでに2%にまで近づくようにやりなさい・・・」

 

 

 

 

 

 

 今回のテーマ「文章の描き方」は、読み手にわかりやすく見せるにはという視点から考えを述べてみたいと思う。プロでもない自分が文章論を語ることがおこがましいのは承知の上で、採用担当の目線から、エントリーシートを含む応募書類はこんな文章表現が望ましいというものをアドバイスできたらと思う。

 まず就活における初期段階は学生と採用担当者のメールのやりとりから始まり、次いでエントリーシートを提出するという手順になる。見ていると、わずか2〜3行の説明会予約メールですらお粗末だなあと感じる文章をよく見かける。就活においては、どんな些細なことも気を抜かない細やかな心配りが必要となる。ダイイチも書類応募の際にエントリーシートの提出を義務づけている。最初は履歴書だけでもよいかなと思っていたが、履歴書だけでは志望動機を書くスペースが少ないうえ、ありきたりで定型的な内容が多く、本人の素顔や当社を志望した理由など本音の部分が全く見えてこない。そこで、書類選考で面接者を正当に評価するためにエントリーシートを活用することになった。当然、これは面接の際での重要な参考資料となる。

 いま就活生はこのエントリーシートの作成に、多くの時間を取られもがき苦しんでいると聞く。

 憧れの企業2〜3社への提出であれば、思いも伝えられるのだろうが、もし業界や職種が変わってしまえば当然志望動機や内容も変わってくるし、意中でない会社を受験するとなれば、志望動機など思い浮かばないのが本音だろう。しかし、採用担当者に強い印象に与えるような志望動機を創りあげなければ内定はおぼつかない。そこで自分の中での本音の部分と偽りの部分が交錯し、その矛盾に葛藤し悩んでいるのだろうと推測する。問題は、会社を選ぶ際において、「そこで何のために働くのか」「そこで何をしたいのか」という働く目的を深く考えていない人が多いことにあると思う。突き詰めれば、「これから何をして生きていくのか」という人生設計の青写真を描く必要がある。どこの会社の面接官も自分の会社が第一志望であって欲しいと思っている。そこで、信念があるのか、言動に矛盾がないか、嘘や偽りがないか、入社意欲が本物であるかどうかを探るために、エントリーシートの中味を精査し、面接でわざといやらしい質問を投げかけて本音と本質を引き出そうとするのである。

文章

 

 

 

 

 

  

 さて、前置きが長くなったが、私の文章作成の基本スタイルは、まず次に書くテーマを探し、起承転結を考えながら、大まかな構想を練ることから始まる。それから、思いついたことを書き綴った後、文章の並び替えや見直し作業を、時には時間差を置き、何度も何度も繰り返して行う。そして最後に、ムダだと思う文章を思い切ってバサッと削る作業をへて、マイピクチャーやネットから文章に相応しい画像を探し、全体のレイアウトを確認した後にようやく投稿となる。

 2010年5月30日投稿の『文章のチ・カ・ラ』でも述べたが、「作文の技術」とは、目的はただひとつ、読む側にとってわかりやすい文章を書くこと、これだけである。気をつけるポイントは、@冒頭で要点(結論)を述べ読み手の心を掴む(起) A理由と方法はできれば箇条書きにし、短いセンテンスを用い簡潔に述べる(承・転) B結びとして、期待できる効果やオチで締める(結) C段落を変えたり、一行空け見やすくする D一段の文中で同じ言葉の重複を避ける E修飾の順序 F句読点の打ち方 G漢字、カナ、ひらがな使用の上手な使い分け H助詞の正しい使い方 I文章のリズムなどにある。

 もう少し詳しく述べれば、理由(根拠)は主従関係因果関係を注意し、方法(対策)は1.誰に2.何を3.どのようにの観点から、判断基準を明確にして具体的に述べる必要がある。

*主従関係・・・「〜は(主)、・・・である(従)」「〜が、・・・である」「〜ことは、・・・ことである」「〜とは、・・・ことである」

*因果関係・・・「〜のため(因)・・・である(果)」「〜なので・・・になる」「〜により・・・ができる」「〜のため・・・が可能となる」「〜により・・・できる点である」

*「具体的には、▲▲を改善するために次の方法を実施する。@×××A×××B×××・・・」

 以上のように、読む人にわかりやすく伝えるという視点から、ちょっとした工夫を加えることで全体に整った文章やレイアウトになり、読む人に読む気を起こさせる。

 一方、文章の内容については、今までの経験と教養の蓄積、語彙の豊富さに頼る部分が大きく、一朝一夕に上達するものではない。私は文章の構成技術の上手さは、今までに読み手を意識して書いてきた文章の量と、内容の深さは今までの人生経験と読書量に比例するものであると思っている。

 われわれ採用担当者はエントリーシートの内容から教養の有無を判断する。社会においても、文章作成能力は仕事の能力を測る重要なバロメーターとなるが、誰もが文章を書くことに苦労している割には文章を技術と捉え勉強している人は少ない。会社では、報告書や提案書などにおいて、わかりやすく、モレとムダのない論理的な文章が求められる。今のうちに、本を数冊読み、「書く」基本技術を一から勉強して欲しいと思う。何も上手な文章を求めているのではない。正しい日本語で、自分の素直な思いが読み手に熱く伝わる、わかりやすい文章であればよいのである。さらに、そこに知性と教養が、隠れたスパイスのようにピリッと加わっていればベストである。 

(あ〜やっと書き終えた!)


投稿者:S・Kat 11:46 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年2月10日

内向きな若者

 最近の若者が「内向き」だの「草食系」と呼ばれるようになって久しい。

 説明会や面接で今の学生と会って感じるのは、みな手足が長くすらっとしたスマート系が非常に多いということである。さもなくば、おデブ系である。実際に話してみると、みな素直で正直そうな子ばかりである。悪く言えば、無機質で人間的な魅力を感じない。昔よくいた筋骨逞しく生意気そうな体育会系やひと癖ふた癖ありそうな個性的な人物をほとんど見かけない。ニキビ面の学生もほとんどいない。まさに<純粋培養>で育てられたというイメージがする。

 

 

 

 

 

 

 時代が違うと言われるが、人間の本質(DNA)がわずか四半世紀で変化するはずもなく、肉食系が減り、内向きで草食系男子が増殖していることが不思議でたまらない。想像できる環境要因としては、@少子化により、子供は長男や長女ばかりになってしまった(一般的に、次男は自立心が強い) A親が過保護で子供の自立を望んでおらず、子供も親への依存心を断ち切れていない B生まれてからずっと世の中の景気が悪く、夢を持てず、無難が一番だと思っている C小さい頃からテレビゲーム、アニメ、ケータイ、パソコンなどと身近に接してきたことで、仮想(バーチャル)と現実の間を行きつ戻りつしており、現実と真剣に向き合っていない などが考えられる。

 さて、私はダイイチの人事担当者として、毎年そんな学生を相手に採用活動を行っているのだが、会社が学生に望む一般的な人材像はといえば、@リーダーシップがある A自立心がある B積極性・向上心がある C元気があって明るい D協調性がある などである。要するに、経営環境の構造変化が激しく先が読めない今の時代において、組織を上手にリードし、未知の課題に柔軟かつ迅速に対応でき、会社に利益を生みだすことができる即戦力もしくはそんな資質をもった人材が欲しいのである。

 その背景には、企業を取り巻く環境が厳しく、正社員をこれ以上増せないという実情がある。企業が求める人材のハードルが上がっているのに対し、学生の質は低下しており、このミスマッチが就職内定率50〜60%という結果に表れている。

 

 

 

 

 

 

 そんな中でわれわれ採用担当は、内定を得ようと上辺だけを取り繕いマニュアルを読みこなし面接練習を繰り返して挑んでくる応募者に対し、じっくりと将来の可能性を見定め、厳選な選考を行う必要がある。会社も真剣だからそう簡単にはごまかせない。下手な人材を採用したら、われわれにとっても死活問題となるからである。

 私見だが、自分の経験則から見て、少しトゲがある反骨心・反発心のある人間の方が社会で成功するケースが多いと感じる。仕事ができ自分の判断基準をもっているからこそ、会社や上司の誤った方針や指示に反発するのである。反対に、おとなしい人、やりたい目標をもたない人は自分の考えがなく人の意見に左右される弱い性格の人が多く、社会で伸びないことが多い気がする。昨今の就職事情では、無難が一番大切と思っている退屈な人間は内定をとることさえ厳しいと思う。

 ではどうすればよいかと言うと、社会から求められる人材になるためには自分を変えるしかない。一番効果的な方法は、今の心地よい環境を捨てることである。何かを捨てなければ、新しい何かを得ることはできない。社会に入れば、誰も手助けはしてくれない。自分から動くしかない。自分で考えるしかない。

 自らを奮い立たせて思い切って未知の<外の世界>へ飛び出し、世の中には上には上がいるということ、人の善悪の価値観や考え方は多種多様であるということ、地球上には様々な人種や生き物がいて見たこともない美しい世界が広がっているということ、商売の難しさ、人間の欲望や権力、世の中の理不尽さ、お金の使い方の難しさ、上手な遊び方などを身を持って経験し、多くの挫折や失敗を繰り返し、それでも向上心を持ち続け、仕事や勉強に励み<自分の可能性>を時間をかけて積み上げていくしかない。極論すれば、これが人間が成長できる唯一の方法である。そして、そんな生き方を目指している人は、考え方が常に前向きで、意欲にあふれ、自ずからその表情に表れてくるものである。

 

 

 

 

 

 

 

 実は私も大学生の頃は自分に自信がもてなくて、「内向きな若者」だった。ただ、いつも「自分を変えたい」とは思っていた。やりたいことが見つからず、大学4年の時にインテリア関連の会社に内定が決まっていたにも関わらず、わざと留年し、親からの仕送りがストップされた。翌年、たまたま受けた中堅建設会社に入社したら働くことが意外と面白かった。もっと面白い仕事をしたいと、33歳の時に自分で手を挙げてタイ現地法人勤務を希望した。当時は英語もろくにできず、正直言って未知の世界が不安だったが、行ってみるとなんてことはなかった。姿形は変わっても人間が考えることは同じだった。見るもの聞くものが新鮮で面白かった。それから10年も海外生活を続け、色々な経験を積み重ねたことで、いつの間にかタフな人間に変わっていった。誰もが<外の世界>へ一歩踏み出すのは怖い。だが、ほんの少しの勇気さえあればチャンスは拓けてくるものだとこの時に実感した。

 繰り返すが、もともと若者が有しているチャレンジ精神は変わらないはずである。ただ環境要因によりDNAがOFFになっているだけであると思う。次世代を担う若者たちのDNAのスイッチをON状態にさせ、やる気の芽を摘むことなく、さまざまな経験を積める機会と環境を与え、その成長を温かく見守ってあげることこそがわれわれ大人の努めであると感じている。


投稿者:S・Kat 17:18 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年1月31日

ALWAYS 雪の日の思い出

 寒波の襲来で、いまダイイチは下の写真↓のような状況になってしまっている。「北陸の人間は雪に慣れているだろうから・・・」と思われるかもしれないが、実は北陸の人間は雪が大嫌いである。みんないつも天気予報を睨みながら、「降るなよ、降るなよ」と念じている。しかし残念ながら、最近の天気予報は精度が極めて高く、憎らしいことに予想が外れることはめったにない。そして、雪が降り始めると「あ〜やっぱり」と諦める。そして「勝手に降るだけ降れば」と開き直る。溜息をつきながら雪かきをしつつ、鈍鉛色の空を眺め、春よ来いと遠い春を待ちわびる・・・毎年そんな繰り返しである。

 

 

 

 

 

 

 雪が降って何かいいことがあるのかなと考えてみた。貯水の役割を果たし、自然に恩恵をもたらすことは確かだろうが、人間にとっては忍耐と辛抱を強いられるだけである。朝は交通渋滞となるため早起きしなければならず、雪道運転は緊張を強いられる。雪質が湿気を帯びて重いせいもあろうが、県内のスキー場は閉鎖が相次いでいる。誰もスキー場に行ってまで雪を見たくない。また、少子化のせいもあろうが、最近、街で子供が雪合戦や雪だるまに興じる姿をとんと見かけなくなった。

 大学進学で初めて東京の冬を迎えた時は本当に驚いた。風があって肌寒いが、連日カッキーンと青空が続く天気に、まず、「世の中は不公平だ」と憤慨し、次いで、太平洋側で生まれ育った友人の能天気な性格を見ていて、「これでは性格も変わるはずだ」と感じさせられた。4年前に冬を越したタイ人研修生は、初雪には大喜びだったが、2月には鬱状態となり、「こんな所は人が住む場所じゃない 」と言われてしまった。まったくその通りだと思う。

 

 

 

 

 

 

 上は昭和38年の38(サンパチ)豪雪の写真である。小さい頃は記憶がよかった少年Sは往時のことをよく覚えている。当時はまさにALWAYSの世界で、親父は亭主関白で威厳があり、子供はみなオカッパ頭か坊主頭だった。冬は鼻を垂らしてほっぺたを真っ赤にし、何故か「雪やコンコン・・」を口ずさみ、雪合戦をしてよく遊んだ。子供はいつも手足が霜焼けだった。豪雪の前日まではそれほどの積雪ではなかったと思うが、一晩でなんと150〜200cmの雪が一気に積もった。毎朝、父に新聞を渡そうと早起きする親孝行な少年Sは、玄関を開けようとしたがビクリともしない。2階に駆け上がってみると、なんと軒下近くまで雪が降り積もっていた。その日は2階の窓が出入口となり、父と兄が雪の階段をせっせと作っていた。しばらくの間、玄関前から高さ2mの雪の道路があり、ニッサン・グロリアやミゼット(三輪車)がトロトロと走っているのを少年Sは下から見上げていた・・・と記憶している。

 北国の人にとっての冬の唯一の慰みは春の喜びが大きいことだろうか。本当の楽しみは苦しみや辛さがあるから味わえると言われるが、長い冬が過ぎて、新緑が芽吹きだす早春の柔らかな陽光に包まれていると本当に幸せな気分になれる。

 それでも、それでもだ。4ヶ月の負の代償と引き換えになるほどのものではない。

 やっぱり、私は雪がきらいだ。


投稿者:S・Kat 14:38 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2012年1月19日

下田塾(しもだじゅく)

  ダイイチでは昨年7月より、各部課より15名を選抜して、月1回のペースで『幹部社員養成教育』を実施している。参加メンバーは下は21歳から上は55歳までと幅広く、職種も生産、検査、営業、開発、総務とさまざまであり、部門長5名も毎回参加してくれている。当初、石崎社長が講師である下田先生の名前にあやかって、『下田塾』と何気なく呼んだのが、いつのまにか定着してしまった。下田先生本人は柄じゃないと苦笑いしているのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 講義内容は、@「見える化」「定量化」による目標管理の習得、問題解決力向上、リーダーシップ向上によるレベルアップAモノ・情報の5Sの向上B人材育成システムの流動的・効果的な実践C作業効率の向上D原価管理の向上などについて、主に現場に設置された『活動板』にて、それぞれの課題の活動状況結果について発表する質疑応答形式で進められている。

 講義の日が近づいてくると、仕事終了後に受講メンバーが事務所にポツポツと集まり、パソコンの前で黙々と活動状況の発表資料づくりに勤しんでいる。その他にも、毎月本を読ませワードでの感想文提出を義務づけたり、宿題を出したり、とノルマがありけっこう大変だが、みな愚痴も言わず真面目に取組んでいる。

 

 

 

 

 

 

 当初は、みんなが業務以外に時間を割かれることを嫌がるのではないか、教育を受けることに関心を持ってくれるかどうかが不安だったが、まったく杞憂に終わった。

 下田先生の熱意、講義の進め方が上手く、その内容に興味をそそられたということもあろうが、ダイイチの社員の「まじめさ」と「成長したいという意欲」は贔屓目なしに見て本当にスゴイ!と感じさせられる。一部の若手社員などはわずか半年の間に目を見張るほど成長してきている。人事・教育担当として、なぜこのようなキッカケをもっと早く与えられなかったのかと後悔するとともに、改めて、会社教育の影響力と効果を実感させられた。そして、ダイイチにはまだまだのび代があり、会社として成長し続けることができると確信できた。

 今後この「やる気の炎」を消すことなく、メンバーのみならず、全体のレベルアップを図れるような環境づくりと、社員の潜在能力を引き出し育てることができる新しい人事評価育成システムの確立を急ぎたいと思っている。

 

 


投稿者:S・Kat 12:59 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年12月30日

2011年の終わりに・・・

 

 

 

 

 

 

 12月27日にダイイチの忘年会が開催され、少し酔っ払った品質課S嬢がトコトコ近寄ってきて、

「ダイイチのブログいっつもチエックしているのに、最近ぜんぜん更新されてないじゃないですか!! ・・・季節もまだ秋のまんまだし〜

と絡まれてしまった。日頃偉そうに言っている立場上、面倒でちょっと気が抜けていたとは言い訳はできない。本当に深く反省。そろそろ2013年の採用も本格化してくるので気合を入れることにする。

 2011年はなぜか短かいと感じる1年だった。

 1月末のドカ雪から始まり、3.11の東北大震災で夏頃までは日本中が悲しみに包まれていた。ダイイチにおいても、従業員の夏季賞与から天引きで数パーセントを義援金に回したり、個人的に寄付する人も多く見られた。一方、会社は運よく震災の影響を受けることもなく、大きな問題も起こらず、業績も比較的順調に推移し、無事に年の瀬を迎えることができた。

 4月には3名の男性新入社員を迎え、また7月からは外部講師を招き「幹部養成教育」が開始され、若手・中堅社員の仕事に対する意識の変化が少しずつ芽生えつつあると感じる。みんなが互いに刺激を受け合い、自主的に課題に取り組む姿を見ていると、ダイイチという会社はまだまだ伸び代があるなあと実感させられる1年だった。

 

 

 

 

 

 

 私がダイイチに入社してもうすぐ5年経とうとしているが、客観的に見て、ダイイチの優れている点は、1、社長を始めとした幹部がみなまめで心配性であり、変化の兆しを素早く察知しすぐに対処する能力に優れていること 2、社員の真面目さ、勤勉さ にあると思う。

 大企業で働くことは扱う数字がダイナミックで刺激的だけど、従業員の顔も性格もその成長も身近で感じることができ、決断や浸透力が早く、何事にもスピーデイーに臨機応変に対応してしまう機動力に富んだ中小企業というのもなかなか面白いものだと実感している昨今である。

 年明けには採用活動が本格化する。

 そんなダイイチの新しい未来を切り開いてくれる若者との出会いが今から本当に楽しみである。


投稿者:S・Kat 01:13 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年10月24日

タイ洪水

  最近、テレビや新聞紙上を賑わしている『タイ洪水』のニュースが気になって仕方ない。

 過去ログ【東南アジアおもしろ話4−雨季−2010年3月5日】でも触れたが、16年前の1995年にタイで洪水に遭遇したことがある。今回の大洪水の規模は往時を遥かに上回り、チャオプラヤ川(別称:メナム川)流域沿いを中心に水位が5〜6m上昇したことで川が氾濫、テレビ画像から推定すると浸水した各工業団地内の水位は1〜3mと推定される。アユタヤ・ロジャナ工業団地で勤務している知人からのメールによると、1階部分はほぼ水没し、貴重品は2階に運び上げ、船で避難し今だ近寄ることができない状態が続いているということである。工場責任者として、その損害額や復旧への道程を考えた場合、茫然自失の状態であるという。

 

 

 

 

 

 なぜ、タイでそのような洪水が発生するかというと、海抜1〜3mくらいの平野が内地深く(500kmくらい)まで広がり、水がすぐに吐けないためである。例えて言うと、内陸地で豪雨が発生した場合、琵琶湖ぐらいの面積の水の塊が1カ月くらいかけてゆっくりゆっくりと南下していくと考えればよい。

 下の写真はバンコクから北へ100kmくらい遡ったアユタヤ県にあるロジャナ工業団地の水没写真であると推測する。白い建物がホンダ工場で、その左の道路のように見える部分が川であり、高さ4〜5mある防水堤があったはずである。水はその防水堤を決壊させ侵入してきたと思える。自然現象とは言え、この工業団地の建設に携わった一員としては本当にやるせない気持ちである。

 

 

 

 

 

  今年タイに台風が5〜6個上陸したという。以前私がタイで過ごしていた10年の間に台風に遭遇することは1度もなかった。確か台風はフイリピン沖で発生しベトナムあたりはたまに影響を受けるが、タイまでは来ることはめったないという話だったはずだが、地球温暖化による異変が明らかに起きている。しかし、もともとはバンコク(クルンテープ:天使の都)は”東洋のベニス”と呼ばれた運河の街で昔の人はみな船で行き来していたということを考えると、昨今のようなコンクリートで囲った近代的な街づくりには無理があったのかもしれないな。

 円高ドル安の影響を受けて、また中国の政情不安を受けてリスク分散のため、製造業の東南アジアへの進出機運が再び高まっているが、この水害を受けて撤退する企業も出てくるのではないかと想像する。

  今回のタイ洪水は、東北大震災とは違い予測可能であった水害で、死傷者が少なかったことだけは不幸中の幸いでした。心よりお見舞い申し上げるとともに1日も早い復旧をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

  さて、最後の写真は、私の友人であるローリングストーンズ狂のギースさんのブログから勝手に借用した一枚です。日本人には「不謹慎だ!」と怒られるかもしれませんが、大半のタイ人は「まあちょっと不便だが、起きてしまったことは仕方がない。どうせ仕事も休みだし遊ぼうか」と思っているはずです。

 これが「マイペンライ(何とかなるさ)」の気質であり、国民性の違いというものです。

 

 


投稿者:S・Kat 11:47 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年8月31日

消火技術競技大会

 学卒の採用活動が終了し、適当な話題が見つからなかったため、約1カ月以上も勝手に長い夏休みに入ってしまった。最近、北陸は秋雨前線の影響で曇りや雨の日が多く、朝晩の暑さも幾分和らいできたこともありブログを再開します(全く関係ないか・・・)

 さて、今回は夏の恒例行事である「消火競技大会」のお話です。

 

 

 

 

 

 8月20日(土)にかほく市消防本部において『第19回河北郡市消火技術競技大会』が開催された。参加企業は20数社で、参加人員は消防関係者を含めると170〜180人くらい参加していたと思う。競技種目は@屋内消火栓の部A消火器男子の部B消火器女子の部があり、それぞれチームの合計タイムで順位が決まる。ただし、操作方法に細かいルールがあり、違反すると減点される。そして今年からその減点基準がさらに厳しくなった。

 

 

 

 

 

 ダイイチは昨年までは男子は屋内消火栓の部、女子は消火器の部に参加していたが、@男子の屋内消火栓の部への参加がほぼ一巡したAダイイチには屋外消火栓しかなく、初期消火の重要性を鑑みた場合、消火器操作技術の向上が必要と判断し、今回から男子は消火器の部に鞍替え、参入することになった。

 ルールは、スタートラインから標的まで約10mの間隔の中で、中間点に置いてある消火器を拾い上げ、その先の標的の9枚の板を水の噴射で倒すまでのタイムを競うもので、わずか5〜7秒で勝負が決する一発勝負である。

 

 

 

 

 

 結果から言えば、男子消火器の部に2チーム参加し14チーム中1位と3位、女子消火器の部は16チーム中2位の成績を上げ、最優秀選手賞、特別賞まで獲得し消火器の部ではダイイチの独壇場であった。女子の2連覇は逃したものの全体として過去最高の結果を残してくれた。ちなみに、男子最優秀選手賞を取ったTクン↓は一番スタートという不利な条件にもかかわらず、わずか5.1秒で駆け抜けた。スタートした瞬間、「あっ飛んだ!!」と思った。合同練習は大会前に3日×1時間行った程度だが、誰もが本番を想定し真剣に取り組んでいた。たぶん、夏期休暇中に自主練習した人も多かったのではないかと思う。全く練習しなければだいたい男性では8〜9秒、女性では9〜10秒かかるが、練習を繰り返すことで時間を2〜3秒短縮させることが可能となる。

 

 

 

 

 

 本来の目的は消火器操作技術の向上であり、消火器を取扱うことへの抵抗感を失くすことにある。本当は勝った負けたなどはどうでもいいことなのだが、若い人たちに努力して、考えて、結果が出た時の達成感・充実感を味わってほしくて「一等賞になれ!」とプレッシャーをかけ続けた。本番では、スタート前は緊張したと口を揃えていたが、大きな失敗をすることもなくみなそれなりの実力を発揮し、全員が入賞し、表彰状、楯、抱えきれないくらいのビール・ジュースなどの景品をもらいご満悦の表情だった。

 来年は20回記念大会でもあり、デイフエンデイングチャンピオンとして追われる立場となる。他社も打倒ダイイチを目指して精鋭を送り込んでくると思うが負けられない。たかが田舎の消火競技大会で大人げないと思われるかもしれないが、一等賞を一度取ったらまた続けたいと思うし、一番になることは意外とチョー気持ちいいものだとしみじみと実感した次第です。


投稿者:S・Kat 14:31 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年7月20日

適性についての考察

 

 

 

 

 

 【適性】

・性質がその事に適していること。また、その性質。

・性質にかなうこと。ある仕事に適した性質。

 【性質】

・もって生まれた気質。天性。資性。

・物事が持っている特色。

・事物の本来固有するもので、それにより他の事物と種類を区別されるもの。

 今回私が何故このタイトルを選んだかというと、はたして学生が就活の際に仕事の適性や適職にこだわる必要があるんだろうかという疑問からである。

 

 

 

 

 

 まず第一に、正式に働いた経験がない学生諸君には自分の向き不向きが本当はわからないはずである。わからないことをくよくよ思い悩んでも仕方がない。正直言って、内定を出した○○クンに△△職への適性があるかどうかなんて人事担当者も面接官にもわからない。性格検査も目安に過ぎない。実際にその職種で働いてみないと誰にもわからない。外交的だから営業職が相応しいとは限らない。社会人は相手によって話してよいこと、話してはいけないことの制約が多く、口が災いを招く場合も多い。また、優秀な営業マンには聞き上手が多いと訊く。反対に、技術者はチームリーダーとして外交的な人が相応しいと私は思っている。今はまだわからないだろうけど、経験と努力を重ねることで、誰にでも新たな自分の可能性に気づく瞬間が必ずくるものである。30代になれば自然と方向性が固まってくるので、20代のうちは選択肢を狭めない方がよいと思う。

 第二に、好きだから適性があるとは限らない。好きなことを職業にしてしまえば、仕事を離れた時にリラックスできる場所を失くす可能性がある。そして、仕事にすることで好きなものが嫌いになってしまう場合だって考えられる。「好き」と「できる」とは違う。また、「できる」ようになってくれば「好き」になってくるものである。適職かどうかの判断は入社後に会社が行なうことであり、ほとんどの場合は自分の意思で決められるものではない。

 第三に、できる人間はどんな職種であっても上手く対応できてしまう。私の経験上、将来の有望株といわれる人材は、どんな仕事でもうまくやってのける。すなわち、仕事のできる人間とは人との接し方、仕事のコツを掴んでいる人であり、学歴や学業成績とはあまり関係がない。そして、彼らは色々な職種を経験しマネジメント全体を習得し、いずれ会社幹部と育っていく。適職にこだわるより、できる人間を目指すことの方が私はずっと大切だと思うのが・・どうだろうか?

 結論として、就活の際は職種にこだわらず何にでもチャレンジするという柔軟な姿勢で臨む方が選択肢が広がるように思う。大学4年時のゼミや大学院で取組む課題研究の延長線上で就職できるケースは稀有である。何十年も培った技術の蓄積がある企業にとって、一部の専門分野を除き、学生に高度な技術は期待していない。われわれはPC、英語、国語など社会人としての基本常識と、研究で培った課題追求のプロセスと考え方を自社の技術へ応用できる能力に大きな期待を抱いているのである。

 

 

 

 

 

 最後に、ダイイチは「適性検査」結果を、合否を問わず必ず本人に郵送している。一次通過者には役員面接への対策用として、不合格者には今後の就活の参考にして頂きたいためである。しかし、受験者に聞いてみると、他社から適性検査結果を貰うことは皆無という。この適性検査(性格検査)のコメントは容赦がなく、かなり辛辣である。たぶんマークシートデータからコンピューターが分類し自動的にタイプされたものであると思うが、まさに血が通っていないと感じる時がある。もし、私が貰ったらショックで立ち直れないと感じる文面も多々ある。学生に聞くとかなり当てはまっていると言う場合が多い。人材情報会社の担当者によれば、過去の分析データから、5年10年後にますます検査結果に近づく傾向にあるそうである。これが本当なら将来を予言する占いのようでちょっと怖い気もするが、ここには将来の成長の余地が全く加味されておらず眉唾とも感じる。

 結局は、このような適性検査の浸透が「適性」「適職」が必要という考えを助長している。所詮、人間の可能性を1枚のマークシートだけで計ろうとする試み自体が間違っているのである。

 


投稿者:S・Kat 11:26 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年6月29日

女性が働くということ

 今後の日本において、少子化による労働人口の減少が予測される中、まず対策として一番に考えられることは男性中心組織に女性を上手く組み入れることであると思う。大企業においては、既に女性の育成プランや子育て支援制度などが明確化されており、管理職登用などそこそこ軌道に乗っていると思えるが、中小企業ではまだまだ男性社会であり、効果的な女性の活用が進んでいるとは言い難い。

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、私はずっと経理など事務畑を歩んできたため、女性を部下に持つことが多かった。日本でも、東南アジアでも同じように感じたが、女性は仕事に向き合う態度がまじめな人が多い。無遅刻無欠勤はもちろんのこと、身体が丈夫で病欠もめったにない。仕事の日は必ず出社してくれるという安心感がある。同じことを継続する力・規律遵守という点では男性は女性の足もとにも及ばないと思う。昔、タイの現地法人に勤務していた時に日本人同僚と、「困ったときに最後に助けてくれるのは女性なんだよね」「うんうん」と会話を交わしたことを思いだした。私も同僚もよい上司であった訳ではないが、掛けた【恩情】や【思いやり】には必ずお返しがくる。雰囲気を察し空気を読むことに長けている。協調性があり、職場を明るくし部署間の架橋となってくれる。期待を裏切られることが少ないのが女性の特質であると思う。裏を返せば、男には自己中心でマイペース型が多く、独断で自分勝手に動き、期待を裏切られたりする場合も多かったような気がする。

 こんなよい資質がある一方、とくに日本では、個人的な自分磨きには熱心でも、社会的地位や収入を求める向上心のある女性を見かけることはあまりない。そのような雰囲気を創りだしている社会の仕組みが悪いのかもしれないが、学卒の女性を面接をしていてもどこか逃げ道を作っているように見える。自ら具体的な将来像を語らない。いわば一生働き続ける覚悟、ヒトに依存しないで生きる覚悟ができていない。一方、アジアの女性はといえば、社会も男も女も男女平等が当たり前と思っているので、自分に誇りをもち、実に堂々と自分の夢と可能性を滔々と語る。人に頼らず自立する覚悟を持って生きている。

 

 

 

 

 

 昨今の厳しい採用状況を考えた場合、大企業への門戸は狭くなっており、やむなく中小企業を受験する女性が増加していると思える。「本当は憧れの大企業でカッコイイOLになりたかったが、ダメだったからやむなく志望しました」という動機では中小企業と言えども内定を取るのは難しい。たとえ入社できたとしても、汗を流して働く覚悟がなければ長続きはしない。

 では、中小製造業は学卒者にどのような仕事の取組み方・考え方を期待をしているのか私見を述べてみることにする。男も女も同じである。

@まず中小製造業は現場が中心であり、高卒者が組織の大勢を占めている中で、学卒者は将来の幹部候補として期待され、周りからの見る目も厳しい。

Aどの部署に配属されるにしても、ものづくりの知識と技術が必要であり、一定期間の現場経   験があることが望ましい。最近の傾向として、すぐに事務所に配属されるケースは稀である。

B仕事内容に男女の違いはなく、力仕事を除き、ひと通りの現場経験を求められる。同じ給与を貰うのであるから当然と言えば当然である。

C1〜3を十分に理解・納得したうえで、新しく技術を習得するために、3〜5年の長いスパーンでスッテップアップを考える思考と忍耐が必要となる。

D最後に、いま流行のドラッガーではないが、『起業家精神(アントレプレナーシップ)』が必要である。当たり前だが、中小企業には当然ベンチャー企業も含まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 入替えがきく大企業と違い、中小企業では大卒の採用人数も限られてくる。また、結婚退職、出産・育児休業のリスクを考えた場合、幹部として長く働いてくれる可能性から、どうしても男性が有利にならざるを得ない。 

 繰り返すが、今や女性が一生社会で働き続けることは既に世界標準である。個人的な意見として、女性が結婚や出産を機に、「仕事を続けるか」「仕事を辞めるか」と悩むのはナンセンスであると思う。仕事を続けるためにはどうしたらよいかと考えるべきである。子供ができたとしても、親に育児を任せるか、育メンパパと交互に子育てを分担すればよい。アジアでは当たり前である三世代同居も親と孫の刺激になるし教育上もよい。家族の絆も深まり、何よりも共働きが可能となる。

  働くことは人間が成長できる一番の機会である。そして、諦めずに継続することで誰もが技術を習得できるようになり、その道のプロフエッショナルになることができる。そして、いつかは精神的な自立と生活の安定が伴なってくるようになる。これが本当の意味での<就職>の到達点である。

 

 

 

 

 最後に、私が敬愛する作家の曽野綾子先生が北国新聞で週1回掲載する「透明な歳月の光」 に関連記事が載っていたので紹介する。相変わらず、歯に衣を着せぬ発言で小気味がよい。

『・・・日本人男性の既婚率は、収入によって差が出ているという。年収300万円がそのラインで、女性の方の収入は全く問題になっていないので首を傾げた。日本の女性は、いつのころから「お妾さん根性」になったのかと思う。結婚を就職の代わりと考えているのだとしたら、あまりのも幻滅で、男性にも気の毒だ。好きな人と暮らすためなら、いっしょに働いて何とか生きていきましょう、と言うのが当然だと私はずっと思ってきた。女性も学校を出たら、当然自分で生活を成り立たせる態度を取るのが当然だ。2人で働けば何とか食べられるというのが普通である』

 

 


投稿者:S・Kat 09:12 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年6月14日

30年前の就職事情

 

 

 

 

 

 6月初旬に、大阪出張で梅田界隈を歩いていると、リクルート姿の就活学生を多く見かけた。俯き加減で横断歩道を歩く女子大生の姿がとくに目に付いた。内定重複を勝ち取ることができる一部の就活エリートを除き、昨今の就職活動は本当に大変であると思う。そこで、30年前の就活事情について当時の記憶を振り返ってみることにする。興味がないと言わずにまあ聞いてくれ。敵(面接官)の生い立ちを知ることも重要な戦術のひとつである。

@石油ショックなど燃料代の高騰により、経済は停滞気味だったが、それでも全体としてみれば高度成長が続き、就職希望者の1/3は上場企業に就職でき、中小企業を含めれば就職先に困ることがない時代だった。

 

 

 

 

 

A人気就職先は今も花形の三菱商事・三井物産などの商社を始め、絶対倒産しないと言われていた銀行、株式運用がブームになりつつあった証券会社、まだ公共事業やゴルフ場開発などが盛んであった建設会社、当時の学生の憧れであった新聞社などのマスコミ、日本交通公社(JTB)などの旅行会社、西武・東急など私鉄・百貨店グループ、日本航空、全日空、ソニー、トヨタ、ホンダ、資生堂などレジャー関連企業に人気が集中していた。『これからは余暇の時代だ!』と誰もがちょっと浮かれていた。

B一方、企業の採用数が多いため、教育訓練所などでのスパルタ式教育や現場OJTで次々とふるい落とされた。最初から辞めていくことを見込んでの大量採用だった。でも、ドロップアウトしても次の職にあぶれることがない時代だった。

 

 

 

 

 

C就職活動は大学4年の10月1日から解禁となり、学生が朝から一斉に動き出す。人気企業の前には長蛇の列ができ、毎年新聞紙上を賑わしていた。そして、ほとんどの学生の就活は10月中に終了していた。

D面接の方法は今も昔もほとんど変わらないが、適性検査(性格検査)を実施することはなかったと思う。いや存在しなかったのかもしれない。

  ・・・と、こうして列挙してみると、今の就職状況よりはるかに恵まれていた。何よりも社会に入ることに【希望】を実感できた。これがあなたたちのお父さんや面接官(50代が中心)が体験してきた入社時の時代背景である。

 

 

 

 

 

  当時の大学生と今の大学生を比較すると、最近はどうも淡白な人間が増殖してきているような気がしてならない。何が何でもという執着心が見られない。オジサン世代はしつこくあきらめが悪い人間が多い。そして、たとえ就職試験に落ちても、「なんと人の見る目がない会社だ。あなたたちはこれで会社の将来を担う貴重な逸材の採用機会を失った・・・」と本気で思っている生意気な学生が多かった気がする。  

 

 

 

 

 

  実際に入社してみると、当時の上司は厳しく立派な人が多く、組織には勢いがあった。暫く高度成長が続き、やがて華やかなバブル全盛期を迎えることになる。しかし突如としてバブルが崩壊し、右肩上がりの時代は終焉を迎えることになる。その後、長いデフレに突入し国内の消費が低迷、会社は雇用調整などの必要に迫られた。そして、あれよあれよという間に、ITCの急速な進展と共に円高による製造業の海外移転が進み、国際化の渦の中で生き残りを賭ける時代になってしまった。良いことも悪いこともあり、高齢化による税負担増にもめげず、辛うじて日本の屋台骨を支えている、それがわれわれオジサン世代なのである。

 同世代の他業種の人事担当者と話す機会が多いが、みな口を揃えて、「学生を見ただけでだいたいわかる」という。そんな馬鹿なと思われる学生もいるかもしれないが、数多くの学生と面接し、採用した社内の若手の成長を見てきた人事担当者は、経験則から、どういう人材が戦力になるかという六感が研ぎ澄まされている。ベテラン人事担当者ともなれば、見ただけで70%、話せば80%ぐらいは、適性検査を加えれば90%ぐらいはその資質と可能性を読み取ることができると思う。

 

 

 

 

 

 そんな百戦錬磨の面接官に、「こいつは本物だな」「こいつは面白いな」「こいつは将来楽しみだな」と思わさなければ内定は覚束ない。マニュアル通りの中身のない言葉はすぐに見抜かれる。今まで培ってきた人生観、経験、知性から滲み出る臨機応変な対応と、若者らしい真っ直ぐな眼差しから伝わる意志力の強さ、そして身体全体から発する存在感に、矛盾がないと確信した時に面接官は心を強く揺さぶられるのである。 


投稿者:S・Kat 20:20 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年5月25日

サラリーマン川柳2012

 新緑の季節となり、恒例の第一生命「第24回サラリーマン川柳」が発表された。

 私は毎年これを見るのが楽しみで、今年はどんな秀作がでてくるかとワクワク期待して読ませてもらっている。

 では、私が勝手に選んだ今年の「サラ川ベスト20」を発表する。

 

 

 

 

 まずは、『家庭編』から・・・

  小学生 夢見る職は 「正社員」

 

 我が孫に トイレの神様 聞かす祖母

 

 怒るなよ 「怒ってない」と 怒る妻

 

 おこらすな ママのいかりは パパにくる

 

 エコエコと たまるポイント へる貯蓄

 

 エコとケチ 主役で変わる その呼び名

 

 今年のキーワードは、「就職難」「トイレの神様」「怒れる妻」「エコ」、まさに不景気で不安定な時代を象徴している。今日本の女房は怒り、子供は希望を失っている。

 

 もし近所の小学生のガキに将来の夢を尋ね、

 

  「ぼくはぜったいにせいしゃいんになるんだ!」

 

 なんて純真な眼差しで言われたら、人事担当者としてはひじょうに哀しい

 

 

 

 

  

 続いて『上司・部下編』・・・

 

 「疲れてる?」 聞いてる上司 君のせい

 

 あれもやれ 残業するな これもやれ

 

 上司より 頼れる使える スマートフオン

 

 オレがやる オレがやらなきゃ オレがクビ

 

 う〜ん。今年の<上司VS.部下>は上司がロープ際まで追い詰められているような感じがする。でも中間管理職は上と下の板挟みで本当に苦労している。最後の「オレがやる・・」はまさしく追い詰められた中間管理職の最後の逆襲です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次は『仕事編』から・・・

 

 検討中 裏をかえせば やりません

 

 ボーナスは メガネかけても 飛び出さず

 

 最近は ケータイ無いと 字が書けず

 

 アルコール、カロリー、ボーナス オールゼロ

 

 上がらない 給料・職名 右の肩

 

 こちらも景況感がもろ反映。「3D」「ケータイ依存」「アルコールゼロ・カロリーゼロ」と時代の風潮を感じさせます。うん、サラリーマンは「できません」「やりません」は絶対禁句で、「検討させていただきます」と答える場合が多いが、確かにいつのまにか消滅している場合が多い気がする。 あっそうか。「右の肩」は40肩と右肩上がりをかけているんだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後は『人生編』です。

 

 天職を 求めて転職 今無職

 

 人員が「ととのいました」と解雇され

 

 いつかやる きっとやるぞと もう定年

 

 ときめきは 四十路過ぎると 不整脈

 

 我が人生 付けてあげたい カーナビを

 

 ハア〜、転職・解雇・定年・老後と一生について深く考えさせられます。誰も波風のある生き方を望むはずもなく、運命の悪戯により人生の歯車が狂ってしまうことがある。でも、天災や事故を除き、その原因は自分自身にあることが多いんだけどね。

 

 そういえば、「ととのいました!」の【ねずっち】も最近テレビでほとんど見かけないが、今どうしているんだろうか・・・

 


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投稿者:S・Kat 13:35 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年5月11日

つつじの花言葉

 

 

 

 

 

いま構内でつつじが盛っている

赤い色だったり 白い色だったり 赤白だったり

つぼみだったり 満開だったりと なかなか賑やか

 

 

 

 

 

つつじは50種類もあるらしく 名はよく知らないが

最もつつじっぽくないドウダンツツジの名前だけは覚えた

 

 

 

 

 

3月、梅の花言葉は 「高潔」

4月、桜の花言葉は 「精神美」

5月、つつじの花言葉は 「自制心」と「制約」 らしい

 

 

 

 

 

まるで 新入社員が5月に憂うように

夢が現実にかわるような感じもあるけど 

 

 

 

 

 

赤いつつじには 「愛の喜び」

白いつつじには 「初恋」

ヤマツツジには 「情熱」 

という ロマンあふれる花言葉もある 

 

 

 

 

 

誰もつつじが咲いた咲いたと

騒ぎはしないけど 

誰もが ひとりでいるとき ふっと見ている

やっぱり・・・

つつじには雨模様がよく似合う

 

 


投稿者:S・Kat 12:01 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年4月23日

消火器操作訓練

  ひさしぶりに会社の行事の話をする。採用の話題ばかりが続いていたので、たまには気分転換をしたくなった。

 4月18日(月)にダイイチの従業員45名が参加して『消火器操作訓練』を行った。できれば、3月20日〜26日の「春の火災予防運動」期間に実施したかったのだが、雨天の影響などにより満を持しての開催となった。

 

 

 

 

 

 

 毎年、秋の火災予防運動の際には「通報訓練」と「消火訓練」を実施しており、みな操作には慣れているものと予想していたが、意外と基本操作を覚えていないらしく、ピンを抜くのを忘れたり、ノブの握りが弱くて作動しなかったり、火元に近づきすぎたり、ホースを持つ位置が悪く火点に狙い通りに噴射できなかったりと操作に戸惑っている姿が多く見受けられた。

 のど元過ぎれば・・・とはいうが、訓練というものは繰り返し、繰り返し行う必要性があると強く感じた次第。

 

 

 

 

 

 

 いろいろなショットを撮ったが、この一枚の構図が一番決まっていた。左は品質課のTさん。昨夏の防火競技大会女子消火器部門優勝のメンバーである。さすが形が決まっている。右は生産2課のベテランKさん。残りの噴煙が風にたなびきカッコイイ。果たし合いを終えた流離(さすらい)のガンマンのようにポーズが見事に絵になっていた。

 

 

 

 

 

 

 この日は風が強く、消火器を20本近くも使用したため、写真のように玄関前の舗装、植木はもちろん、参加者の服装までも粉末消火液により真っ白となりベタベタと気持ち悪くて往生した。

 3月11日の東日本大震災の影響などもあり、火災発生の際の初期消火・初動対応の重要性を少しは認識していただけたかと思う。

 今回は面白くもなんともないブログだったが、ダイイチがちゃんと会社らしいことを行っていることを分かって頂けただけで・・・充分!

 


投稿者:S・Kat 09:18 | 日記 | コメント(1) | トラックバック(0)

2011年4月1日

ダイイチへの受験を考えている皆さんへ

  季節はもう春・・・だというのに、福島第一原発事故は未だ沈静化の兆しがありません。放射能漏れというのはこんなにも厄介なものなんだと改めて思い知らされました。また、大津波で家や車がプカプカと空しく浮いている映像を見ていると、自然の猛威の前で茫然と立ちすくむしかない人間の無力さと、「念願のマイホームだのマイカーだのとモノへ執着することは価値のあることなんだろうか?」と空しさを感じたのは私1人だけではないと思います。被災地の方々に改めてお見舞いの気持ちを申し上げるとともに、ぜひ一人ひとりが自分の町を再興させるんだという強い前向きな気持ちを持っていただきたく心よりお祈り申し上げます。 

 

 

 

 

 

 さて、今回のブログは『ダイイチへの受験を考えている学生の皆さん』だけを対象とした、たぶん私から最後のメッセージです。

 3月29日付で、ダイイチの会社説明会(全4回)へ参加していただいた人だけに、【募集要領】を送信しました。『ダイイチへの受験を考えている学生の皆さん』は志望動機をつくるため、またはエントリーシート作成のために、このブログを読むことと思います。

 今年からダイイチは学卒者の募集職種を「営業職」のみに限定しました。その理由は、営業は「仕事を受注する」という会社にとって一番重要なプロセスであり、その営業センスが経営幹部候補として欠かせない資質であること。また、「営業職」がお客様のみならず、コーデイネーターとして生産・開発・総務各部門との接点が多く、広い視点で仕事や会社を理解できるためです。

 製造業での「営業」という仕事を大きく分けると1、見込生産品 2、受注生産品の2種類に分類されます。見込生産の場合は当該製品の仕様・構造・使用方法などを理解さえすれば営業をすることは可能ですが、受注生産の場合は、@加工技術方法A機械の生産能力や構造B業界の専門知識C生産予定スケジュールなどを熟知していなければならず、一般的にその技術・知識の習得にはかなりの時間を要します。言葉を換えれば「技術営業」となり、ダイイチの場合は典型的な後者となります。文系の方は”技術”という言葉に身構えるかもしれませんが、「仮撚加工技術」や「ニット技術」を授業で教えている大学はどこにもなく、誰もが横一線でのスタートなので心配無用です。 

 

 

 

 

 

 私がダイイチに中途で入社してから早4年が過ぎようとしていますが、入社してまず感じたのは、繊維とは糸種・品種・ロット・加工方法などが複雑で多岐にわたり、想像していた以上に難しいということでした。会社説明会においては、できるだけ客観的な視点から私が感じた「ダイイチの優れた点と問題点」をほぼ包み隠さずお話しました。全てを開示したうえで、ダイイチという会社を正確に理解、納得し自ら判断していただきたいと思ったためです。

 もう一度ダイイチという会社の特徴を簡潔にまとめてみます。

@社長を始めとし全従業員の仕事に向き合う姿勢が真摯で、まじめで、慎重で驚かされる。いい加減とか、手を抜くということがほとんどない。正直言って、こんな会社は見たことがない。

A4交代制を採用し、みな短時間集中的に仕事に取り組むため残業が少ない。

B基本的に「仮撚加工」と「編み」の技術屋が中心のものづくりの会社である。

Cお客様のほとんどが大阪にある大手繊維商社である。

D反面、津幡町という狭いエリアで、工場内で特化した専門技術を追求してきたため、会社経営という観点からの広い視野と幅広い経験を持ったリーダーが育っていない。

E財務・管理・品質面においてかなり優れた会社である。8年連続経常黒字を継続している。

F10年以上前から脱衣料化を図り、医薬品を中心とした産業資材分野に大きく比重が移り、結果として業績が安定してきている。

G職場環境面では夏場は工場内が非常に暑く、仕事内容はコツコツと地味で華やかさはない。

 

 

 

 

  

 今期の採用活動では、【リクナビ2012】の採用方針で、「私が社長になるんだ!」経営者候補の募集という見出しを掲げたことで、例年になく、若者らしい蛮勇心がある学生が会社説明会に多数参加してくれました。

 コネもカネもない普通の若者が将来経営者になりたいと考えた場合、サラリーマン社長が多い大企業でトップを目指すことはライバルが多く至難の業ですし、また会社を起業するにしても成熟した日本社会においてビジネスチャンスは少なく、資金調達など創業の苦労は並大抵なことではありません。その点、社員数がわずか60名で親族経営を一切排除している実力主義のダイイチにおいては、その夢の実現可能性はかなり高いと言えます。しかし、採用のハードルは高く、その道程が険しいのはあたりまえのことですが・・・

 今後もグローバル時代の変革に迅速に対応しつつ、ダイイチだからこそできるビジネスや事業を積極的に展開するためにも優秀な人材の確保と成長は欠かせません。グローバル化という大津波が押し寄せる中で、われわれが欲しいのは日本のみならずアジアを舞台にして共に戦える心身ともに逞しい人材です。できるできないは別として、まずやってみようと思う気持ちが大切だと思います。10年後20年後のダイイチをもっとよい会社にするためにも、自ら真っ先に手を上げることができる挑戦意欲のある方の応募を心よりお待ちしております。

 

 


投稿者:S・Kat 16:27 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年3月20日

「社長」と「学生」との対話

  久しぶりの投稿になります。3月11日の大震災発生以来、まるで身体が褐色のベールで覆われたようで気分が晴れない状態が続いている。連日、新聞やTVで被災地の被害拡大状況が報じられているが、何もできない自分が歯がゆくて、東京電力の対応の遅さにイライラし、被災者の方々が気の毒で涙が出そうになる。大震災によりお亡くなりになられた方々へのご冥福と被災地の方々へのお見舞いを心から申し上げますと伴に、これから自分ができること、しなければいけないことをしっかり考えたいと思っている。 

 さて、3月14日の会社説明会の冒頭にも申し上げたのだが、どんな災害が起ころうとも企業の採用活動は待ったなしで進められるだろうし、4月からは一斉に採用試験が本格化する。大震災の影響で暫くは日本経済は停滞し、新規採用を断念または採用数を削減する企業が出てくると考えられ、就活の学生にとっては逆風になると推測される。若者らしく前を向き、社会に希望を与えれるような存在になる覚悟が必要であると思う。

 

 

 

 

 

  今年からダイイチの会社説明会では、説明会の最後に社長挨拶と座談会形式で学生から社長への質問タイムを30分間程もうけている。

 傍で聞いていると、これがなかなか興味深くておもしろい。

 1人の学生が最低でも1つの質問をするよう順番に指名しているが、1つしか質問しない人もいれば、「これでもか!」と7つも質問する学生もいる。

 学生からの質問の内容がどんなものかと言うと、

「社長と言う仕事のやりがいは何ですか」 「なぜ社長になりたいと思ったのですか」 「海外展開について、アメリカやヨーロッパ圏は考えていますか」 「仕事とは何でしょうか」 「なぜ医薬品に力を入れようと思ったのですか」 「女性が営業職に就くことをどう思われますか」 「社長になるためにはどのような力が必要ですか」 「中国ではなく、東南アジアにこだわる理由は何ですか」 「社長が普段考えていることは何ですか」 「次の製品開発は考えていますか」 「社長が思うダイイチの強みは何ですか」・・・etc.

 ふだん会社の社長と話す機会がない学生は、ここぞとばかりに社長の考えや思いをストレートに尋ねてくる。

 これらの質問に対し、当意即妙を旨とする石崎社長は一刀両断に短く切り返す。

 やりとりの一部を紹介すると・・・

学生A「社長が考える経営者の資質とはなんですか?

社長「駆け引きをしないこと。しても長続きはしない。そして本を読むこと

学生B「社長をやっていて楽しいこと辛いことはなんですか?

社長「楽しいことは会社が儲かること。辛いことは儲からないこと

学生C「医薬品の分野に進出した理由はなんですか?

社長「誰もやっていなかったから。当時はみんなが反対したけど・・・

学生D「社長は会社を離れたら何をしているのですか?

社長「ゴルフしている時も、食事していても、寝ていても24時間仕事のことを考えています

学生E「社長にとって社員とはなんですか?

社長「財産です!!

 

 

 

 

 

 


投稿者:S・Kat 11:05 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年2月21日

第2回会社説明会を開催

  平成23年2月19日に第2回会社説明会を開催した。

 私は説明会参加者全員に志望業種と現在の就活状況を尋ねることにしているが、早くも1〜2社の選考を受けているという返事が多かった。また、説明会にもかかわらず、すでに本番モードに突入したようなピリピリとした緊張感とダイイチという会社を見極めてやろうと五感を研ぎ澄ましている雰囲気が漂っており、そんな真剣な視線を浴びて会社説明を行うのは楽しくやりがいがある。今年から募集職種を将来の経営幹部候補としての意欲のある営業職のみと限定したためか自立心のある学生が多い気がする。入社するしないにかかわらず将来性豊かな若者との巡り会いは労多き採用担当者にとっての唯一の楽しみである。いや、私の個人的な楽しみかな・・・!? 

 

 

 

 

 

 

 

 前回と同様に、説明会の最後に社長への質問コーナーを設けた。参加者12人全員からいろいろな質問があった。その中で、

 「社長にとって会社の経営で一番大切なことは何ですか?」

 という質問に対して、石崎社長は間髪入れずにこう断言した。

 『会社が儲かることです!!』

 私は人が働く意味とは、@報酬 A自己実現 B人からの認知・称賛の3つの項目を実現させることにあると思っている。何が重要かはその人の価値観により様々であるが、この3項目のバランスが揃うほど働くモチベーションや充実度が上がる。私にとってこの中で一番大切な要素は人の期待に応え喜ばれ認められることである。自分のためだけ、お金のためだけだったら飽きて長続きしないが、そこに他人の期待が絡めばヒトは頑張ることができる。

 そしてこれを実現するための絶対条件として、自分の会社が儲かっているかどうかが重要な鍵となる。利益が上がることで、給料や賞与が増え生活水準が上がり家族が喜ぶ。また、新しい事業・方法・設備などで自己表現を図ることが可能となる。上司からよく頑張ったとお褒めの言葉をもらえばヤル気も増す。そうすれば会社の雰囲気もよくなる。この好循環が、働くことをますます楽しくさせ、将来の夢や希望に繋がる。だからどこの会社の社長も、いつも「利益を上げろ!」「儲けろ!」と従業員を鼓舞するのである。

 儲けることは決して楽ではないが、成功している会社や生き残っている会社がある限り 、儲かる仕組みは必ずあるはずである。考えに考えて、その仕組みが儲けを伴って具現化できた時に経営者はそのプロセスに醍醐味を感じるのだと思う。

 最後に、若いうちは自分にふさわしい天職や会社があるものと夢を探そうと必死になるものである。私もずっとそうだった。しかし、自分の半生を振り返ると、それは幻想にすぎないのかなと最近思うようになってきた。われわれには多くの職業を体験するには余りにも時間が少ない。偶然の巡り会いを運命と信じてその道を好きになる努力をし技量と人間性を磨く。このプロセスに人が生きる意味があり、たぶんこれが真実なんだと今は思っている。

 


投稿者:S・Kat 11:00 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年2月9日

東南アジアのおもしろ話15-アジアの国々(最終章)-

   今回の15話をもって、【東南アジアのおもしろ話】を終了する。

 1年以上に亘って掲載してきたが、話すべきことは大体話し終えた。その他にもおもしろい下ネタの話は山ほどあるが、ここは株式会社ダイイチの公式ブログということで残念ながらも記載を断念することにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  こうして東南アジアの地図を眺めていると色々な思い出が蘇ってくる。この<東南アジアのおもしろ話>のネタは仕事拠点のあったバンコクが中心だったが、出張やビサの切り替えでタイの周辺国を何度も訪れた。まるで金沢から富山にちょっと出掛けるような感覚で月1度のペースで渡航した。パスポートは終いにスタンプを押すところがなくなり、大使館で何度も増刷を申請しなければならなかった。

 【ミャンマー】は第7話で詳しく述べた。本当にひどい国だが何故か懐かしさを感じる。その昔、日本とは非常にかかわりが深く、一時はタイと隆盛を競い合っていたが、軍事政権となり鎖国状態になってからは経済発展に雲泥の差がついてしまった。でも天然資源が豊富でその潜在力と可能性は高いと思う。また、飛行機から眺めただけだがバカン遺跡は壮大である。東南アジア古代遺跡として人気はNO.1らしい。

 

 

 

 

 

 

 【ラオス】は上の地図に国名も記されていない。まさに中途半端な存在である。経済的にはタイの属国のようになっており、政治的には社会主義国でベトナムの影響を受けている。首都ビエンチャンは車で15分ほどで全部回れるほど小ちゃく大きな市場以外は何もない。でもアジアの原風景という感じで意外と心地よくほっとさせられる。

 【カンボジア】は何度訪ねても、貧しい国と感じる。ポル・ポト圧政下の民衆の心傷が未だ癒えておらず、南方特有の明るさや大らかさを感じられない。終戦直後のように誰もが生きるために必死という印象が残る。私は国の成熟度を計るのは「文化」だと思っているが、プノンペンでは独自文化や伝統が消滅してしまったのではないかとも感じた。地雷除去を含め国際協調で復興を目指しているがその道程はまだまだ長い。

 【ベトナム】は発展が目覚ましい。特に北ベトナム人は器用で優秀な人が多く、お尻に蒙古班があるらしく、一説によると、その昔中国大陸から渡航した日本人のルーツと同じ民族らしい。またアメリカに勝った唯一の国という誇りがあり、その粘り強さはベトナム戦争で既に実証済みである。しかし、ハノイの雨季の蒸し暑さと言ったら尋常じゃない。本当に体中にカビが生えるんじゃないかと思った。市場を覗いた時、竹籠に猿とニシキヘビが生きたまま売られていて何でも食べる国なんだと驚いた。

 【フイリッピン】はアメリカの影響を受け東南アジアで唯一キリスト教を信仰している国家である。自由の国という表現が相応しく治安が悪くカジノが林立している。外資の参入が少なく、優秀な学卒男性は海外のプロジェクト等へ、若い女性はメイドとして海外へ出稼ぎに出かけ外貨を稼ぐことで国家を支えている。公用語が英語で、人の性格もよく優秀な人間が多いだけに残念な国である。

 

 

 

 

 

 

 【マレーシア】は中国系・マレー系・インド系が混合した多民族国家である。イスラム国家だが規律が緩やかで、英語が通じ物価も安く住みやすい国だと感じた。優秀な人間が多く、昔私の部下だった中国系マレー人は6ヶ国語とコンピューターに精通していた。昔はアセアンで中心的な存在だったが、人口が2700万人と少ないためか、最近はあまり注目をされず、域内での影響力も低下している印象を受ける。

 【シンガポール】はリー・クアンユー元首相による実験的国家という印象を受けた。世界一と言われるチャンギ空港を始め全てが人工的に美しい。街にゴミが落ちていないし、側道の植樹や花壇もきれいである。しかし、物価も給与水準も日本と同じなうえ色々と規制が厳しく、道を汚すからとの理由でチューインガムが販売禁止されていることには驚いた。1人あたりのGDPは高いが魅力的な国かといえば否である。

 【ブルネイ】には一度間違って行ったことがある。本当はマレーシアのコタキナバルに行く予定だったが、飛行機はボルネオ島の小さな国に降り立ってしまった。自分のいい加減さに呆れつつ仕方ないから一泊したが、でっかい王宮と石油プラント以外は本当に何もない国だった。

 【インドネシアその他】へは行く機会がなかったが、バリに一度は訪ねてみたいと思っている。人口の多さと国土面積の広さで、30年以上も前からその市場は期待されているが、未だにあんまりパッとせず未開の地が残されている。また、その隣国のパプアニューギニアの空港に飛行機が降り立つと、今でも裸の土人が槍を片手に「ウオッホー!! ウオッホウー!!」と集まってくると知人から聞いたのでいつか確認しに行かなければならないと思っている。

 

 

 

 

 

 

  このブログを通じて、私が東南アジアで過ごした10年間の経験とは一体何だったんだろうとずっと考えてきた。

@外から日本を見ることで、日本人であることを強く意識し、誇りに思うようになってきた。そして、自然景観の美しさ、生活の便利さ、食べ物のおいしさ、水のうまさ、安全性、勤勉さ、正確さなどの点で世界一であると実感した。

A顔つきや肌の色が変わっても人間性、慣習、嗜好などヒトはどこでも同じであると確信した。アジア人は基本的に男は怠け者・酒飲み・浮気者で女は真面目でしっかり者でいつもオトウチャンが怒られているという印象が強く、日本人の男だけは例外が多いという気がする。

B暖かい場所に住んでいると人は前向きで楽観的になり、あまりくよくよと悩まなくなる。誰もが喜怒哀楽の感情をはっきりと表に出すためわかりやすく、詮索する必要性があまりないので気が楽である。

Cアジアでは能力が高く優秀な人材が多く輩出し脅威を感じている人も多いが、その人材に深い人間性と謙虚さが備わっているかといえば疑問である。このまま育てば将来素晴らしい人材になると目される若者がすぐに慢心し天狗となり、周りの意見を全く聞かなくなり失敗するパターンを多く見てきた。ビジネスの視点に立てば、リーダーに能力と人格の両立を求める日本に強みがあると私は考えるが果たして結果はどうだろうか・・・。

D海外で働いたり学んだりしている日本の若者が想像以上に多く驚かされた。自分の夢を実現したり見つけるために、あっちこっちの異国の地、辺境の地で逞しく働いている姿に頻繁に出会った。可愛い独身女性も多い。しっかりとした目的意識を持ち、自ら行動し汗を流すその姿に頑張れと心からエールを送りたくなる。

 

 

 

 

 

 

 アジアは広大である。中国に13.5億人、インドに12億人、そしてASEAN地域に6億人のヒトが暮らしている。日本を上記の地図にはめ込んでみると、ちょうどマレー半島と同じくらいの大きさのちっぽけな存在である。だが現地の新聞やニュースを見ていると日本に関する報道が一面で扱われることが多く驚かされる。それほど日本はアジア各国から一挙一動を注目されているのである。

 私は東南アジアの魅力とは【混沌】と【人間臭さ】と【包容力】にあると思っている。絶対的に宗教を信じ続け、人が人らしく飾ることなく、自然のままに今を大切に暮らしている。そして誰が尋ねて行ってもやさしく笑顔で迎え入れてくれる。そこには狭い島国の日本人が考え及ばないような、繰り返されてきた悠久の歴史の継承と大陸特有な大らかで普遍的な考え方が存在しているに違いない。

                                                      (完) 

 

 


投稿者:S・Kat 23:20 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年1月31日

「社風」と「企業規模の違い」について

 財務・経理という職業柄、昔から銀行・証券・保険・リース会社の方とお話をする機会が多い。また数回の転職経験から、それぞれの業界・会社にはそれぞれの独自のカラーと常識があり千差万別であると実感している。一般世間から見たら「何でやねん!!」と思うようなことがその会社の常識になっていることもよくある。

  

 

 

 

 

 

 20年ほど前に東京で働いていた当時は、まだ都市銀行が合併する前で三菱・富士・三和・第一勧銀・住友・興銀・三井など乱立していたが、3分ほど話せばどこの銀行マンか解かるほどそのカラーは明確だった。今は合併し混成部隊となってしまったので判り難いが、出身を聞くとなるほどなと納得する。一度染み付いたカラーは簡単には抜けないものである。まだ都銀の内部は混乱しているときく。異質な文化の融合は本当に大変である。

 「社風」というのはその会社の経営者の理念・考え、長年引き継がれてきた慣習・伝統であり、会社の中で働いている人はそれが客観的に常識か非常識か解からない場合が多い。新入社員は最初の集合教育から、この社風と社内常識を叩き込まれ、また先輩社員から「これは白!これは黒!」と洗脳され、疑問を抱きつつも次第にその業界・その会社のカラーに染まっていくことになる。そして3年も経てば○○社員としての完成品となる。

 学生のみなさんが職業選択をする際に重要なのがこの「社風」である。自分の価値観に合い、居心地がよく、思い出したらポッと心が明るくなるような会社を選ぶことが大切である。まさに、男女の恋愛と同じで、離婚(退職)すればお互いが不幸となる。会社見学の際には、この会社のDNAは私に相応しいかどうか全身の感性を働かせて慎重に選択してほしいと思う。

 もう一つ、大企業と中小企業の人材に対する価値観の違いについて私見を述べる。

 私は年間売上が1,000億を超えるようなメガ企業での勤務経験はないが、売上800億規模の大企業、10億程度の中小企業、1千万円程度の経営と大・中・小規模それぞれの勤務経験がある。

 

 

 

 

 

 

 上場しているような大企業には人はいくらでも集まってくる。確かに、収入・福利厚生・教育面では優れており、30歳前半くらいまではいいと思う。また世間体もよい。しかし、同期入社が100名超など当たり前であり、3年目を過ぎた頃から競争が始まる。30歳を過ぎるともう会社内で評価の選別が始まり、落伍者(退職者)がでてくる。ライバルは同期だけではない。1〜2年上の先輩や1〜2年下の後輩もライバルとなり、数少ないポストを争うことになる。40歳を過ぎて管理職のポストに就けなかった場合は、関連子会社に出向か肩叩きとなる。売上規模も大きいだけに新規受注の営業ノルマも月に数千万から数億とばかデカイ。営業マンに仕事内容を聴くとノルマを追いかけるだけのつまらないことばかりやっている。元々は高学歴で資質の高い人間ばかりだろうが、ノルマ至上主義で歯車として働かされ続け、成長できているとはとても感じない。土日と祝日は休みだが、終業時間は21〜22時過ぎと時間外労働がサービス残業である所も多いらしい。誰も帰らないから帰れないという。誤解を恐れずに言えば、冷酷に社内外で競わせ、段階的に選別し、生き残ったものだけが社内エリートとなっていくのが大企業の人材育成の基本的考えである。全てがそうだとは言わないが、これが学生の憧れる一般的な大企業の実態である。

 

 

 

 

 

 

 では中小企業はどうかというと、学卒者が少ないため、入社したときから従業員の注目を浴びることになる。周りの期待が大きいだけにかかるそのプレッシャーも大きい。まず現場従業員から認められるかどうかが大きな壁になる。製造業や建設業には学生の目から見たら鬼軍曹のような職人気質の先輩が多い。その試練を乗り越え心技体ともに成長したときには必ず経営幹部としてのポストが約束されている。また、大企業には目標となるモデル(人)が存在するが、中小企業では常に自ら先駆者意識を持ち、自己成長を図らなければならない。他人に頼らず自分で道を切り開く覚悟が必要となる。

 結論から言えば、働くのはどこでも大変なのである(苦笑)。そして、その大変さは給料水準と見事に比例している。働く内容は企業規模に関わらずほぼ同じで、単に扱う数字のケタが大きいか小さいかに過ぎない。年齢的に言うと、35歳くらいまでは大企業は居心地がよいが、35歳を過ぎれば中小企業で働くことが面白いといえるかもしれないな。

 今の時代は【会社の安定】というのは死語に近いと思う。大企業も中小企業も倒産リスクは同じである。商品サイクルが短くなり、アジア内での競争が激化している今生き残れるのは、先を読み時代の変化に対し柔軟に機動的に対応できる会社だけだと強く思う。


投稿者:S・Kat 16:39 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年1月19日

第1回会社説明会開催

 1月15日(土)にダイイチの第1回会社説明会が開催された。

 いよいよ今シーズンの本格的な採用活動のスタートでもあり、学生と同様に、われわれ人事担当者も新たに襟を正すような気分である。今年はどんな可能性のある若者に出会えるのか!と本当に楽しみである。

 今年からリクナビに変更し、また、募集職種を将来の経営幹部候補としての意欲のある営業職のみと限定したためか、会社説明会にはなかなか面白味がある10名の学生が参加してくれた。今日が初めての会社説明会への参加だという人も半数以上おり、やや緊張の面持ちだったが、第一印象として例年以上に落着きと大人の雰囲気がある人が多いと感じた。

 

 

 

 

 

  私は会社説明会の席上では、ダイイチの実態について包み隠さず話すように心がけている。仕事の内容から、業績の推移、財務状況、ダイイチの魅力と問題点、今後の課題、さらには社長の性格まで全てを理解したうえで、人生最初の重要な選択を正しく判断していただきたいためである。また、ダイイチを志望するしないにかかわらず、中小企業の製造業の仕事について理解を深め今後の成長の糧にしてもらいたいという気持ちもある。

 

 

 

 

 

  説明会の最後に、石崎社長より採用に賭ける熱い思いを語ってもらった。

 「まず最初に、私自身や私の考え方が嫌いであれば、ダイイチを志望するのは諦めたほうがいい。あなたが私のことを好きになってくれれば、私もあなたたちを好きになるはずですから・・・。 (中略) もしあなたたちが中小企業を志望するならば、絶対に経営に参画できる経営幹部を目指すべきです。そうなればかなりダイナミックで面白い仕事ができるはずです。大学を出て中小企業を選択し、ただのひと駒で終わってしまうというのは全く意味のないことだと思う・・・」

 

 

 

 

 

  

 今日の新聞・報道で今春の大卒予定の就職内定率が68.8%(12月1日時点)で過去最低だったと報道していた。昨年からの推移を考えると別に驚くべきことではない。逆によく健闘したと思う。これは企業が質の高いよい学生のみに内定を集中させ、学生が就職希望先を有名大企業に集中させたことによる当然の結果である。

 文芸春秋の2月号でイタリア在住作家の塩野七生氏が、今の大人を含めた日本人の安定志向をこのように皮肉っていた。

 『もはやこれからの世界は、安定の時代ではない。終身雇用などは、あったとすれば奇跡、と考えたほうがよい。・・・だが、そこそこの才能と、一般的な社会の傾向に捕らわれない発想力の転換と、若いからこそ持てる、蛮勇と言ってもよい勇気。また、安定などはなくてもいいや、という居直り。そして何よりも、一会社が必要としていなくても、それは社会があなたを必要としていないということではないという、現実的で冷徹な信念。これらのことがあれば、どうにかなりますよ』 

 


投稿者:S・Kat 09:43 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)

2011年1月10日

東南アジアのおもしろ話14-レストラン経営-

  謹賀新年 明けましておめでとうございます。

 今年が皆様にとって【新しい夜明け】となりますよう、心からお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  さて、今年最初のブログは、私の実体験に基づいた飲食業経営について考察してみることにする。正直言って、今までこの話題は避けるようにしていた。失敗談として軽く語るには余りにも金銭的・精神的なダメージが大きかったためである。

 日本でも同じだが、飲食店というのは本当に競争が厳しく、入れ替わりが激しい。サラリーマンが嫌で独立を志し、「自分1人が食ってさえいければよい」と簡単に考える人は今も昔も後を絶たないが、実際に事業を始めてみると、儲けるどころか自分への少しの報酬を出すことさえ難しい。感覚としては、何とか食っていける人は10年生存率で10%ぐらいで、自他共に成功したと思える人は1%程度に過ぎないのではないか。これは、飲食業に限らず、会社を起業した人全てに共通した数字であると思う。

 40歳の時にそれまで勤めていたタイの現地法人の清算撤退が決定し、日本への帰国を命じられた時に、脱サラして、解雇された現地スタッフと一緒に何か事業を始めようと思い立った。何者にも束縛されずに自由になりたいと思った。そして、海外駐在6年間で貯まった貯金は【あぶく銭】と考え、自分に投資し新しいことにチャレンジしてみたいと思った。あわよくばという気持ちがなかったわけではない。ゴルフツアーの会社、シルク・民芸品等の小物の輸出など色々と検討してみたが、素人が少ない資金で商売を始めようとした場合、飲食業が一番手っ取り早い。最初は、ライブハウス経営を真剣に検討したが、資金面・採算面から断念、そこでアーテイスチックなCafe restaurantをチエーン展開しようと思い立ち、バンコクの歓楽街の中心にあるスリーウオンで1号店をオープンした。

 

 

 

 

 

 

 実際にレストラン経営を始めてみると、客から目線とは大違いだった。

@まず優秀なコックが見つからず、居つかない。職人として、すぐ労働条件の良いほうに流れてしまう。そして、コックが変わる度にメニューが変更になる。結局は1年経たずに自分で厨房に入りコック兼任となる。

Aタイ人の中にはコーヒーを飲む文化がまだ定着していないので、利益率が高いコーヒーが売れない。上質な豆も手に入らない。

B立地面で、大通り沿いは賃貸料が高いため30mくらい奥まった場所に店舗を構えたが、一見客の集客が難しかった。また、店舗設計にミスがあり、厨房が狭かったため、満席になったときに素早く対応できない。

C最初に商品価格を原価率40%で設定したため、利幅が少なかった。客足が伸びなかったため、途中から値上げをすることは難しかった。

D水商売とはよく言ったもので、本当に水物で、客が入るときは嫌ほど入り店内は混乱し、入らないときは全く入らず暇をもてあます。まさに「客が客を呼ぶ」という言葉を実感した。

E料理で同じ味を出し続けることが非常に難しい。季節・気候要因もあるし、人の味覚というものは朝は鈍く、夜は研ぎ澄まされてくる。

 人(特にサラリーマン)からは自分の城を構えられていいなあと羨ましがられたが、実際にやるのは大変である。まず、朝7時から晩10時までと労働時間が長い。休みが取れない。暑いため食材が腐り易く管理が難しい。タイ人客にも頭を下げなければならない。飲食業従事者は社会的地位が低い。同じ水商売のアウトロー日本人の知り合いが増え、妬み嫉みなど人間関係も複雑になってくる。唯一の心の支えは、料理を食べ満足したお客様が発してくれる『美味しい!』という一言とその笑顔だけだった。

 

 

 

 

 

 ゼロからスタートする創業者というのは本当に大変なものである。どんなニッチな分野でも、競合業者が全くいない市場というのはまずない。最初は全く商圏を持たないわけだから、既存市場に新規参入するためにはドブを這いずり回るような営業活動が必要となる。真っ当な商売などときれいごとを言っていては生き残れない。場合によっては、人を陥れるような悪いことをしなければならない場面にも遭遇する。他人の商圏や生活の糧を奪うことこそが【起業成功】【事業拡大】という意味なのである。

 私にはここまで割り切って儲けに徹することができなかった。結局は、資金の行き詰まりにより、チエーン展開は幻と化し、前号でも述べたように、エビの養殖事業、健康食品キチンキトサンの原料製造などの事業も上手くいかず、丸4年で事業を全て清算し帰国することになる。敗北感があり、もう立ち直れないかもしれないとも考えた。ただ借金はなく、人様にご迷惑をお掛けすることはなかったことだけは幸いだった。

 今振り返って感じることは、安定収入があるサラリーマンがいかに恵まれた境遇であるかということである。自分の実力を過信して、社内での評価や待遇に文句を垂れる輩が多いが、いかに会社に守られて生きているか、会社に所属しているという肩書きがどれほど大きいものなのかを本当に理解しているのは会社という組織から飛び出した人だけだと思う。後悔先に立たずである。そして、どんなちっぽけな商店の社長でも、経営者という人に心から尊敬の念を抱くようになった。

 失敗はしてもよいと思う。大切なことは失敗から何かを学び二度と同じ失敗を繰り返さないことだと思う。今後一体どうすれば残りの人生をやり直すことができるのか・・・@計画・準備(シュミレーション)することの大切さ A規則正しい生活をしリズムをつくり常にベストの状態で仕事に臨む B集中力を高める C仕事は先を先を追い、決して追われない D時間を無駄にしない E論理的思考で考える F読み書きを鍛練する

 これが手痛い事業の失敗から学習した私なりの教訓である。


投稿者:S・Kat 12:38 | 日記 | コメント(0) | トラックバック(0)